「迷惑」じゃなくて「痛い」んだ

大嶋  やっぱり手首切られたら嫌ですよ。切ったってことだけちゃんと教えてきたら私は怒らない。怒らないけど「私はこれは嫌なの、もう見るのも痛々しいし、とにかく心配だからやめてちょうだい」とは必ず言う。自分のやったことで他の人がつらい思いしたり、悲しかったりするんだっていうことをね。
上岡  むこうは「迷惑をかけた」とか「怒ってる」とか思ってるんだよね。でも、実はどうも「こちら側もすごく痛むんだ」っていうことがわかってないらしいんだ。
大嶋  手当してくれる人が「やられる」(傍点)ってことがなかなか実感できないみたい。
上岡  本当に困ったことだけど、それは何回もやりとりがないとだめなんだよね。こちらが「迷惑」してるんじゃなくて本当に「痛い」。そのことで本当に身体が痛くて夜中に目が覚めちゃう、とは思えない。
大嶋  気にかかっていつも考えてしまうとか。
上岡  そういうのがなかなか伝わらない(上岡陽江×大嶋栄子「対談 では援助者はどうしたらいい?」『その後の不自由ー「嵐」のあとを生きる人たちー』医学書院、2010年、p247)。


*『「迷惑」じゃなくて「痛い」んだ』は、学生が自分の自傷行為について書いたレポートを読むときに、教員である私も感じることです。