もしも、お母さんが「死にたい」と言ったら

 あたしのまわりには、よくそういう(熊田註;「死にたい」というような)発言をする仲間が実は多いんだ。そんなことばを聞いたあとは、あたしもまた、また別の仲間や専門家に、話を聞いてもらうようにしている。じゃなければ、身が持たない。「死にたい」ということばは、まわりの人間に対して、破壊的なパワーを持つからだ。
 または、くり返される誰かへの悪口や、あるいは具体性のない、あらゆるグチ、グチ、グチ・・・・・・グチの最後に「死にたい」がくることもある。
 <うつ>で毎日つらい気持ちでいると、つい身近にいるこどもに向かって、お母さんたちはそんなことを言ってしまうことがある。(後略)(上岡陽江+ダルク女性ハウス「もしも、お母さんが『死にたい』と言ったら」『生きのびるための犯罪(みち)』イースト・プレス、2012年、p174)。


*ダルク(民間の薬物療法リハビリ施設)のメンバーでなくても、親、特に母親のグチの「ごみ箱」(中井久夫)にされている子どもは現代日本に数多いと思います。「専門家」でなくても、宗教者が支援の手をさしのべる余地は多いと思います。