君側の奸

 結局、(熊田註;朱子学から)忠の原理を導入した徳川幕府は、自縄自縛になるわけだ。武士階級には、無理に徳川に押さえ込まれているという意識がずっとあるし、より高いものへの忠を以て現下の忠に替えるのは、快い。「改宗者の快」だ。徳川を「君側の奸」とみなす思想が次第にうけるようになる。この思想は、明治以後も遺伝されて、順々に「君側の奸」になる。まず藩閥政府、次には「重臣」だね。それから、軍部。戦後には特に陸軍とされるね。ジャーナリズムは、このコンプレックスに訴え続けてきた。日本人に受けること間違いなしだからね」
 「スケープゴーティングの一種だね?」
 「一種?そうと言えるかな。いや、「君側の奸」を攻撃する奴が、次に「君側の奸」になる。権力に対する憎悪と憧憬との二筋道さ。知識人だってそうだ。彼らも武士の子孫だから、当然だろうがね。(後略)(中井久夫「『昭和』を送る」『「昭和」を送る』みすず書房、2013年(初出1989年)、p98)。


昭和天皇が亡くなって、私たちは「君側の奸」コンプレックスから自由になれたのでしょうか?官僚が、現代の新たな「君側の奸」にされていないでしょうか?