日本の宗教と「気働き文化」ー精神障がい者のおたすけについてー

愛知学院大学文学部紀要』42号原稿(2013年3月刊行予定)


<題名>日本の宗教と「気働き文化」―精神障がい者のおたすけについて―
<著者>熊田一雄(宗教文化学科准教授)


<Title>Japanese Religion and “Ki-bataraki Culture”:About the Salvation of Mentally Handicapped Persons
<Author>Kazuo KUMATA(Associate Professor of Department of Religious Culture)


<要旨>
 本稿の目的は、日本の「働きカルチャア」には「気働き文化」という独自の文化があり、それが精神障がいの患者の社会復帰に対してしばしば厚い壁となって立ちはだかっているという事実を指摘し、日本の宗教教団が精神障がいの患者のおたすけに関わるに際しては、その点に対する充分な配慮が必要であることを示すことにある。


<キーワード>
働きカルチャア/気働き文化/日本の宗教/精神障がい/労働と休息


1.はじめに―精神障がいの患者の社会復帰と宗教
 近年、日本を含む先進諸国の精神医療では、「脱施設化」、つまり精神障がいの患者を病院のような隔離された医療施設に閉じ込め続けるのではなく、地域社会の中で一般の人々と共生する方法を模索する動きが活発である。その際、精神障がいの患者の地域社会における「受け皿」として、宗教団体に大きな期待が寄せられている。日本の宗教界も、社会からのこうした期待を敏感にキャッチしている。たとえば、天理教の機関誌『みちのとも』2012年9月号は、「精神障害(ママ)」に向き合う」という特集を組んでいる。精神障がいの患者の地域社会における受け皿になることは、日本の宗教に期待される社会貢献のひとつといっていいだろう。
 本稿の目的は、こうした時代潮流の中で、日本の宗教団体が精神障がいの患者の地域社会における受け皿になるに際して、日本の「気働き文化」とでもよぶべき労働文化が、精神障がいの患者の社会復帰に際してしばしば厚い壁となっていることを指摘し、いささか逆説的な言い方をすれば、「働けない」というよりも「休めない」という特徴を持つような精神障がいの患者のためには、「安心してサボれる職場づくり」、さらには「安心してサボれる教会づくり」がとても重要性であることを強調することにある。


2.日本人の「気働き文化」
 精神科医中井久夫は、世界の各文化にはそれぞれ独自の「働きカルチャー」が存在することを指摘し、日本の「働きカルチャー」の一大特徴として「気働き文化」の存在を指摘している(1)。

 「気」には実にさまざまな用法があるが、その大部分は、たしかに対人関係的なものだ。「気づかい」「気の毒」「気が張る人」(これは相手にするとこちらの“気”が張るような人のことだ。関西弁で“シンドイ人”とは、相手にするとこちらがやりきれなくなる人のことで、「疲れた人」ではないことも同じで、ちょっとフシギな形容詞の使い方である)。これは、木村敏はじめ多くの人が指摘していることだ。ただ、すべてが対人関係に源を発するわけでないことは、「気」が沈んだり、晴れたり、たかぶったり、することからも明らかであろう。とにかく、われわれは「気」というものにとても敏感で、「気」を重視しているようだ。合理的解決よりも「気がすむ」ようにはからうほうがよしとされる。たとえば、「三方一両損」。
 このことが、患者の社会復帰には、現にかなりマイナスに働いている。
 これは、現在のわが社会が「働くこと」を重視する社会であることが前提になっての話である。ちょっと軽みを帯びさせるために「働きカルチャー」と呼んでおこう。
 今日では、われわれも多少、そのことを意識している。「しかし、働くだけが人生ではない」と説く人も、電車が定時運行せず郵便が確実に着かなければ、怒り出すだろう。だが、両方はセットになっているのだと思う。
 カナダの大都市で、トロリーバスの運転手が、バスを停めて下車し、悠々とサンドウィッチを食べ、牛乳をのむのを見たことがある。わが国だと、乗客は少なくとも苛々するだろうし、怒り出す者もいるだろう。一人くらいは市当局に投書して、この運転手をクビにさせるかもしれない。しかし、カナダの乗客は落ち着いたものだったし、私も、空腹を我慢している人が運転しているバスより安心だな、と思った。実際、バスの運転手は一般に「こちらが目的地につく」というためのサービスを第一に考える。その町のバス停には停留所名がない。その代わり、乗る時に行き先をいえば、最寄りの停留所にきた時「どこそこへ行く人、ここで降りなさい」といってくれる。こちらの顔を覚えていて、こちらが立って降り口に行くまでは繰り返す。外国人で言葉が十分でないことがわかっているようだ。そして降りる時に、目的地までの道順を教え、くり返させる(プロとして地理をよく知っている)。その間、乗客は当然という顔で待っている。
 わが国でもそうする運転手はいるだろう。親切で「気が利く」人だ。感謝の投書が行って表彰されるかも知れない。しかし、カナダの運転手は「気を利かせて」いるのではなくて、サービス業の一環としてやっている。こちらが求めなければ、「気を利かして」やってくれたりはしない。わが国の運転手は、同じことをしていても、悠々とは遠い心境だろう。刺すような乗客の視線を「気」にして「気が気でない」だろう。終わったら、責任を果たしたという安堵感でなく、「乗客の皆様」におわびの放送をしなければならず、ふだんより急いで発車させる態度を示さねばならない。そこではじめて乗客は彼を許し、たたえさえする。
 こういう人をみていると、ただでさえ運転手の職業病といわれる胃潰瘍に、これではまっ先になりはしないか、とひとごとながら「気になる」。
 我が国の現在はこういうタイプの「働きカルチャア」である。ただの「働きカルチャア」ではない。極端にいえば、労働量よりも何よりも「気ばたらき」がわれわれのいう「はたらき」である。課長が入室すれば、仕事の手を休めて(目礼しないまでも)課長の入室をそれと認めるしぐさをすることが大事である。他国の多くでこういうことがぜんぜん起こらないとはいわないが、重視されはしない。
 たしかに、「気ばたらき」の巧みな人をみていると、一種の美を感じる。「甲斐甲斐しい」という感じである。「気ばたらき」には独特の美学がある、といってよいかもしれない。外国の彫刻家が働く人体の美に認めた美とはまたちがった美である。集団の美ともちがう。一斉にオールをそろえてボートをこぐ美やマスゲームの美ではない。
 「働く」という意味がわが国において、このようなものであることを指摘したい。たしかに「気ばたらき」があまり重視されない職種もある。しかし、そういう職種は低くみられがちなのが、わが「働きカルチャー」の一特質である。ノルマの何倍を果たすかが問題となるソ連のスタハノヴィズムからは実に遠い。「なりふりかまわず働く」ことは、そうせざるを得ない境遇にあれば同情されるが、一般には、働きの美学からはあまり評価されない。「一人でコツコツやる」人は、ある程度の敬意を表されるが、「「手を休めずに」というところに注目されるようだ。「しばしも休まず槌打つひびき・・・・・・」という“森の鍛冶屋”であるある種の長期的な仕事は、だらだらやってゆくことがひとつのこつなのだが、それは全く評価されないといってよいだろう(中井1982、pp243-246)。

 中井は、日本の「気働き文化」に肯定的ないし否定的な価値判断は下さない。しかし、日本のこうした「気働き文化」が、精神障がいの患者が社会復帰する際にしばしば厚い壁となっていることを指摘している(2)。

 この「気ばたらき」文化を私はよいとも悪いともいうつもりはない。ただ、多くの患者にとって、職を持ち収入を得る上で大きなハードルになっていることを、われわれは意識する必要がある、といいたいだけである。
 就職した患者、職場に復帰した患者が解雇されるきっかけに、この「気ばたらき」ができない、ということが多い。患者が自分から職場をやめる理由の中に、これができない、あるいは気がきかないと皆に思われているようでいたたまれない、ということがよく聞かされる。直接そうでない場合でも、気ばたらきしようとして気疲れして、ということが少なくない。気疲れ、という奴は長く尾を引くものである。
 私がいわんとするのは、患者あるいは元患者が、気ばたらきできない性質をもっているということでは全然ない。気ばたらきは一種の曲芸、といわなくても対人関係における、たえざる緊張と目ざとさを強いるものである。病気から回復途上の人にそれができない、ということは、そうすることは回復をさまたげるから自然にそうなっているのだとさえ、考えてよい。アレクシス・カレルの「生体の英知」の延長線上にあるというべきか。第一にそういうことである。
 その証拠には、対人関係における気ばたらきを重視するうつ病患者も、病気の最中や回復期には、気ばたらきをしない。こういうことにたいへん価値を置くので、できなくてもがいたり、好転の兆がみえると無理に病室の内外を掃除したりする人が少なくないが、そういう時は「せっかく(原文・傍点)病気をしたのだから、前より無理の少ない(余裕のある)生き方をされてもよい(原文・傍点)のではないだろうか」と呟くようにいってみたらどうだろうか。このことばを「病気という代価を支払ったのだからそうしても許される」という含みで受けとるうつ病者もいると思うが、それでよいのである。うつ病者に多い、社会の眼を自分の眼として自分を眺め、検閲し、責める傾向や、代価なしにものを受け取れない傾向に対するいくらかの「ゆるめ」をもたらす機微があると思う(同上、pp246-247)。

 中井は、こうした「気働き文化」の歴史的起源は、平地農民、あるいは江戸時代の武士(実質的には官僚)ではないかと推測している。

 こういう文化がどこから発生したかは、分からない。昔山村の伐採人といっしょに「アルバイト」をした経験があるが、山の人の文化は違うようだ。漁村の文化も違うらしく感じる。どうやら平地農村、あるいは江戸時代の武士(実質は官僚)あたりからではあるまいか。秀吉の、大家族同居の禁が多分拍車をかけただろう(同上、p.248)。

 中井は、現代日本では「気働き文化」は、歴史的に重層的に形成された「働きカルチャー」の中層部分をなすものとみている。比較的浅い層に存在するのが「執着性気質」(二宮尊徳的な、「再建=立て直しの倫理」としての「勤勉と工夫」)であり、それ以前にある中層が「気ばたらき」的なものを美質とする層である。中井はもっとも底辺に近いものは、職人的器用さではないかと推定している。

 日本文化における労働の特質として「執着性気質」を挙げることは、すでに下田(熊田註;精神科医の下田光造)の論文にあり、現在、半ば定説化している。しかし私は、十八世紀末、天明期以後の労働特性で、比較的浅層のものと考えている。それ以前に、「気ばたらき」的なものを美質とする層がある。もっとも底辺に近いものは、職人的器用さではなかろうか。日本人が労働から疎外された時行うのは、おどろくべき器用仕事である。たとえば、多くの捕虜収容所の記録、最近(一九八二年)のものでは荒木進『ビルマ敗戦行記−一兵士の回想』(岩波新書、一九八二年)を参照のこと(中井2011b、p.133)。


3.「働けない人」ではなく「休めない人」
 中井は、精神疾患の患者たちは、「働けない」のではなくむしろ「休めない」人であると指摘する。中井は、「気働き文化」の特徴を考えるために、「気働き文化」とは異質な日本人の「働きカルチャー」との例として、山林伐採人の労働形態を紹介し、精神疾患の患者たちは、「休息が不得手で、そのために結果的に働けない」と指摘している。

 私が強い感銘を受けたのは前近代労働、具体的には山林伐採の老練な労働者たちであった。彼らはアルバイターの私の性急さを戒めつつ、ほとんど禁欲的なほど小さな歩幅で膝を高く挙げて山道をゆっくり登った。十分「食休み」を取り、最後まで汗をかかないで仕事を終えて山を下った。長老格の人の話は面白く、若者を退屈させなかった。
 ところが患者は、世慣れぬためか、見とがめられることを恐れる心の習慣からか、とにかく、このようにきめ細かに休息を織り込んだ労働は苦手のようだ。むしろ、彼らは休息が不得手で、そのために結果的に働けないと言ったほうが当たっている。実際、休息時間も、仕事のあとも、緊張がつづいている(中井2011a、pp54-55)。

 中井は、決して現代日本の「気働き文化」を否定しているのではない。そうではなく、精神疾患に対して「鎮静と休息」をもっと重視する必要を主張しているのである。

 私は何も「気働き文化」に正面から挑戦しているのではない。それはそれ自体の美学 をもっている。おそらくそれ自体の運命も持っていよう。(変わるときには変わるということだ。)ただ精神科医は、常識と社会通念とを区別しなければならないと思う。社会通念は、しばしば、患者を怠け者のごとくみなし、「働けることが治ること」という定式をかかげている。常識はどうであろうか。すべての病気は、急性期には鎮静、回復期には休息、そして十分な休息ののちに社会に加入するための探索行動(模索と足ならし)という順であるからには、多分、精神科の病においても、ことは同じであろう、と示唆しないであろうか。同じかどうか、鎮静と休息にもう少し力点を置いて結果をみたらどうか。
 実際、患者は、働くのが下手なのではなく、休むのが下手(あるいは休むとあまりに対人的安全保障感が低下するので休めない)というほうが実状であろう。よく働ける人は必ずうまく休息する人である(中井1982,p.252)。


4.日本の宗教と精神障がいの患者の社会復帰
 日本の宗教、特に近代という時代に発生した新宗教は、しばしば教義の中に、中井のいう「気働き文化」を取り入れている。そして、信者たちにとって「気働き文化」は当然視されていて、自覚すらされていないことが多い。私は、そのことに肯定的あるいは否定的価値判断を下す気はない。私は、日本の宗教、特に新宗教が説く「気働き文化」が、日本の宗教団体(特に新宗教)が精神疾患の患者の地域社会における受け皿となろうとする際に、しばしば大きな障害物となっている可能性を指摘したいのである。
 天理教の機関誌『みちのとも』に掲載された以下の事例は、そのことをよく示していると思われる。

 (熊田註;統合失調症者の自助グループ浦河べてるの家」の)見学の最終日には、朝のミーティングにつづいて、当事者と一緒に昆布製品の袋詰め作業をさせてもらった。作業手順を指導してくれた宮崎信一さん(54歳)は、外見も言葉遣いも優しく丁寧な紳士である(3)。
 作業場ではソファーで寝ている人もいれば、ずっと歌を歌っている人、あっちこっち行って作業中の仲間に話し掛けてばかりいる人もいる。当然誰もその人たちを気にとめることはない。作業をしている人たちの表情は生き生きとしている。
 (熊田註;天理教分教会長の)廣岡さんが「実は五年前に来たときに一番驚いたのが『安心してサボれる職場づくり』という理念なんですよ」と話しだした。「サボる」というのは一般的にマイナスイメージがつきまとう。しかし、これを積極的に取り入れ、そのなかで皆が生き生きと作業している。その姿を目にしたとき、心の病は頑張れない病気だと分かっていながら、自分の無意識のうちにあった、教会で預かっている(熊田註;精神疾患の)人たちへの「頑張って徳を積んでもらわねば」という思いが“無理強い”だったことに気づいた。そのことを意識するようになってからその人たちの表情が柔らかくなったのだという(天理教機関誌『みちのとも』2012年9月号、pp30-31)。

 天理教は、「はたらくとは、はたはたをらくにすることなり」と、中井のいう日本人の「気働き文化」を説く典型的な宗教教団である。この話は、天理教の分教会長が、「気働き文化」の弊害に気づいたエピソードだと思われる。


3.おわりに―「安心してサボれる教会づくり」
 上記のエピソードに登場する天理教の分教会長が、精神疾患(この場合は統合失調症)の患者の地域社会における受け皿における成功例として全国的に有名な「浦河べてるの家」を訪問した際に一番驚いた理念は、「安心してサボれる職場づくり」であった。「働けない人」というよりも「休めない」人である精神障がいの患者にとって、この「安心してサボれる職場づくり」という理念は、患者を「休める人」にして、結果的に「働ける人」にしているのであろう。
 それに対して、「はたらくとははたはたをらくにすることなり」という「気働き文化」を当然視していたからこそ、この天理教の分教会長は、この「安心してサボれる教会づくり」という理念に驚いたのであろう。しかし、この理念を知ったことによって、この天理教の分教会長は、「自分の無意識のうちにあった、教会で預かっている(熊田註;精神疾患の)人たちへの『頑張って徳を積んでもらわねば』という思いが“無理強い”だった」ことに「気づく」ことができて、教会の雰囲気をよくすることができた。
 中井は、『「働くこと」あるいはそれへの促しはつねに治療的だろうか』と問いかけて、次のように論じている。

(前略)この延長線上にある問題は労働をめぐるイデオロギーともいうべきものであって、「働くとは良いことである」「働かざるもの食うべからず」というたぐいのものである(日本国憲法にも「国民の勤労の権利と義務」の規定がある)。しかし、この種の言葉を一般に病める者に向かって放つのは控え目に言っても心ないしわざであろう。最後の一句パウロのことばであり、労働する人々が卑しめられていた古代ギリシャ・ローマ世界のことばである。
 この種のことばは、しかし、家族はもとより、治療者あるいは福祉担当者も不用意に使いがちである。これはどうしたことだろうか、彼らは一面では「精神」病を、声をひそめて語るような重い病としつつ、同時に根強く「病者怠け者」説を採っているのではなかろうか。この思想は、近世の西欧が「魔女」を焼くことを止めて、その代わり「働かざる者」すなわち浮浪者、売春婦、精神病者を労働改造しはじめたことにはじまるものであろう。それは一六世紀後半、カルヴィニスト・オランダの「糸繰り場」「木挽き場」に始まる。それが近代精神病院の暗鬱な起源であって、一八世紀になると多くの西欧精神病院は着実に利益を挙げていた。跡形もなく消滅したとはいえ、一〇世紀のアラビアの精神病院が「休息、音楽、水浴」をモットーとしていたと聞けば、こちらにはプラトン哲学の「メランコリー」治療の考え方の影が感じられるとともに、この沙漠の商業民族はオアシスの持つ救いと癒しとの意味を身をもって知っていたという気がする。もっとも、西欧でも刑務所モデルと並んで修道院モデルも存在した(中井2011a、pp.48-49)。

 「安心してサボれる職場づくり」という浦河べてるの家の理念をもじっていえば、「安心してサボれる教会づくり」をすることが、日本の宗教、特に近代という時代に誕生した新宗教が、精神障がいの患者の地域社会における受け皿になるに際して重要なのではないだろうか。


<註>
(1)中井は、日本語で「こころ」と呼んでいるものは、傷はついても病むもので はなさそうであり、「気」中心のビヘイヴィアより「こころ」中心のビヘイヴィ アのほうが、余裕とうるおいのある「こころ」やさしいもののように思われる、としている(中井1982、p.253)。しかし、中井がこの文章を書いてから30年経ち、「こころを病む」という日本語表現は、完全に日常表現になった。日本社会で「医療化」(medicalization)がそれだけ進行したということだろう。現代の 日本社会で「病む」ことがないのは、もう「たましい」くらいではないだろうか。
(2)中井は、ある、日本をよく知り、日本語を完璧に使う外国人教授が、日本の 精神病院を視察して、患者の半数は退院できる状態にある、と判断したというこ とからも、日本において求められる「働き」の質が高いハードルとなっていると 考察している(同上、p.251)。
(3)「浦河べてるの家」については、例えば浦河べてるの家(2002、2005)、横川(2003)、斉藤(2010)を参照されたい。


<参考文献>
浦河べてるの家べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章 (シリーズ・ケアをひらく) 』医学書院、2002年
浦河べてるの家べてるの家の「当事者研究」 (シリーズ・ケアをひらく)』医学書院、2005年
斉藤道雄『治りませんように――べてるの家のいま』みすず書房、2010年
天理教機関誌『みちのとも』2012年9月号、天理教道友社
中井久夫『精神科治療の覚書』日本評論社、1982年
中井久夫『世に棲む患者』ちくま学芸文庫、2011年a(初出1982年)
中井久夫『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫、2011年b(初出1982年)
横川和夫『降りていく生き方―「べてるの家」が歩む、もうひとつの道』太郎次郎社、2003年