ひきこもりと「友人」

 子どもたちは、友達がたくさんいるのが正しくて、ひとりぼっちはだめだという気持ちにおそわれていますね。どのようにして友達をたくさん維持していくか、うまく距離を保ちながら傷つけられないように複数の友達をずっと維持していくかに、心を砕いているという現状があります。でも、そんな馬鹿なことをやるよりは、一人だけにわかってもらった方がよっぽどいいと、私は思います。少なくとも自分がやっていること、自分が生きている生き方を理解してくれる人が一人だけいれば、人間は生きていくことができるのです(高岡健不登校・ひきこもりを生きる』青灯社、2011年、p218)。


*逆にいえば、「青年期前期」に「同性同年輩の(熊田註;ほんとうの)友人」(H・S・サリヴァン)が一人はいなければ、その後「生きていく」ことが困難になるということでしょう。『銀河鉄道の夜』におけるジョバンニにとってのカンパネルラのような存在が必要なのでしょう。