天理教と肺結核

http://6308.teacup.com/ukishima/bbs/845 より転載


管理人様、質問させていただきます。
私は一つ疑問を持っています。
それは病気や事情を御守護頂きたい為に、多額の金を御供した人は本当にたすかっているのか?という大変下らない疑問です。
たすかったというケースは典型的な御守護話として語られていますが、しかしそれは氷山の一角で、その陰にはたすからなかった(効果なし)ケースが多く隠されていると私は思うのですが、それを語る人は殆どいない。
その中に私はどうも人間の都合の良さを感じずにはいられない。
「必ず御守護頂ける」という所謂「御供と救済論」を結びつけて説いている人は何を根拠に言っているのか、統計の裏付けでも持っているのだろうか?と思ってしまう。
たぶんそれは受け売りであったり、もしくは自分の数少ない経験からなのであろう。
それではまさしく「愚者は経験に学ぶ」になってしまう。
裏付けデータでもあれば私も大手を振るって「必ず御守護頂ける」と言いたいのだが、そんな裏付けを聞いた事は一回もありません。
「御守護は神の領域」と誤魔化すのだろうか?
ここに私が知る唯一のおたすけ統計があります。
それは「肺結核症」です。
当時(明治後期から昭和20年頃)の身上たすけと言えば「肺結核症」がその多くであった。
ご存じのように、多くの布教師が患者をおぢば・よろづ相談所・別科へと連れ帰り、熱心におたすけをされ、不思議なおたすけも数々上がり、多くの方が入信、お道が伸びた時代と言われています。
しかし統計では・・・
おぢば(よろづ相談所)での結核症死亡率が、全国死亡率を下回ったという統計は出ていない。
むしろ末期的患者が多かった為か、死亡率は全国平均以上だったと出ています。
まとめでは、天理教のおたすけが結核死亡率に影響を与えた、という事実は見られない、との事であります。
たぶんこの時代だから「御供させて頂いて御守護頂こう」とそれぞれ精一杯御供をしたであろうが、実際の病気平癒率はなんら全国平均なのであります。
私は決しておたすけや御守護を否定している訳ではありません。
明らかにこの時代、天理教は伸びたのですが、それは世間から隔離・排除される結核患者に当時の布教師が何の差別無く、おたすけの情熱を傾け共に生きた、その『誠真実』に心打たれ、多くの患者・家族が入信したのであります。
これがおたすけの素晴らしさであり史実でありましょう。
最近こそ聞かなくなったが「この身上はウン十万、その身上はウン百万の御供で御守護頂ける」と病気に値を付ける布教師も多かった、いやペテン師と言った方が正しいのかも知れない。
これは道の教えに反する「ご利益信心」でありますが、事実、今もお道の中に私達の心の中に色濃く残っています。
私はこの「ご利益信心」の象徴こそが『御供』という観念であると思うのです。
御供はひのきしんの一部であるから誠に結構であります。
しかし病気に値を付けたり、御供=御守護というのは飛躍し過ぎ、ある意味教理の歪曲だと言わざるを得ません。
私もおたすけ美談に洗脳されてきた一人かも知れませんが、冷静に思案するとこういう理論も充分成り立ちます。
御供と御守護、管理人様のご意見をお聞かせください。


*「末期的患者が多かった為」、時たま肺結核が治癒したケースが目立ったのでしょう