天理教と「ためし」

 しかし、その後、兵四郎の目は、毎朝八時までというものは、ボーッとして遠目は少しもきかず、どう思案しても御利やくない故に、翌明治一九年正月に、又おぢば(熊田注ー天理教の聖地)へ帰って、お伺い願うと、

「それはなあ、(親神のー熊田注)手引きがすんで、ためしがすまんのやで。ためしというは、人救けたら我が身救かる、という。我が身思うてはならん。どうでも、人を救けたい、救かってもらいたい、という一心に取り直すなら、身上(熊田注ー健康状態)は鮮やかやで。」

とのお諭しを頂いた。よって、その後、熱心におたすけに奔走するうちに、自分の身上も、すっきりお救けいただいた(『稿本 天理教教祖伝逸話篇』天理教道友社、1976年、p279、逸話一六七「人助けたら」)。

 

*みきは、「たすかりたい」から「たすけたい」への心の転換が、現在の認知行動療法に匹敵する効果があることを、経験的によく理解していたのだと思います。