サリヴァンと「同性同年輩者問題」

(前略)ちなみにサリヴァンの活躍したのは一九三〇年代から四〇年代で、今日有名なE・H・エリクソンより一時代前である。しかも、エリクソンがどちらかというと青年期後半に重点をおいたのに対して、サリヴァンの青年論の焦点は青年期前半にあった。青年期前半に関しては今のところサリヴァン以上の論はないと私は思う。ここで紹介しておこうと思う所以である。
 サリヴァンによれば、人間が青年期前半に果たすべき肝要な対人関係的課題は同性同年輩者間に一対一の親友関係をつくることだという。(中略)「個人的親密への要求」がはじめて生まれるわけだ。それはすでにして「愛」とよぶにふさわしい。(中略)ここではじめて「二人」が問題になる。(中略)かくてそれまでの自己中心的な視野は一挙にひろがり、小さいながら社会的パースペクティヴの中に自分の場所を獲得する。一見二人だけの小宇宙のようだが、実はそれによってはじめて社会という大宇宙へとつながる(笠原嘉『青年期ー精神病理学からー』中公新書、1977年、pp.22-24)。


 われわれの周囲には外見的にみると、うんざりするほどの人また人である。しかし、元気で社交的な人々には想像しがたいかもしれぬが、或る種の人間にとっては適切な時期に適切な人々と適切な仕方で 出会うことは案外むつかしいことなのだ。精神衛生という問題が公衆衛生と違うところは、こうしたきわだって個人的な次元の、しかも顕わにされにくい点に戦略点があることだと私は思う(同上、p30)。


また彼は医者のみならず、看護師等の育成にも尽力した。その際、看護師として選んだ人間にいわゆる劣等生だった者を集め、そのような環境で育った人間が統合失調症患者の気持ちを比較的良く理解できると考えていた。彼は人間にとり、8歳半から始まる前思春期が非常に重要であるとし、そこでの友情から物事や世界の意味を確認できる、貴重な時期だとした。そこでの関係は、いわゆるchumshipと呼ばれる。もし、それまでの母子関係(乳幼児期〜前思春期まで)に何かしらの問題があった場合でも、ここでの重要な他者との出会いが、その人の人生を支える可能性があるとしている。統合失調症の患者にはこの前思春期の経験が欠如している為、治療でそれを作り出す必要があると考えたサリヴァンは、婦長を頂点とする看護婦によるチームではなく、男性中心の看護チームを作り、一時、その体制でかなり集中的に治療に当たった。それが原因で、婦長と衝突する事が多かった(Wikipedeia「ハリー・スタック・サリヴァン」)。


*自分自身が「S(統合失調症)親和者」(中井久夫)のせいか、日本の「宗教心理学」でやたら人気のある(おそらく松本滋さんの影響でしょう)エリクソンよりも、私はサリヴァンに惹かれます。