天理教/暴動/力比べ

月日にはあまり真実(しんぢつ)見(み)かねるで そこで何(と)の様(よ)なこともするのや
如何(いか)ほどの剛的(ごふてき)(熊田註;力の強い者)たるも若(はか)きても これを頼(たよ)りと更(さら)に思(をも)ふな
この度(たび)は神が表(をもて)い現(あらは)れて 自由自在(ぢうよぢざい)に話(はなし)するから
中山みき・村上重良校注『みかぐらうた・おふでさき』平凡社、1977年、p151)


天理教の原典『おふでさき』のこの部分は、明治15年に書かれた、『おふでさき』全17号中第13号からの引用である。『おふでさき』のこの記述は、「谷底せりあげ」(社会的弱者の救済)を目指していた当初の天理教が、民衆の暴動(「謀反」)と紙一重の際どい運動であり、中山みきが男性信者たちと「力比べ」を行って、簡単に負かしては「神の方には倍の力」と説き続けていたことの狙いの少なくともひとつが、宗教運動が暴動へと転化することを防ぐことにあったことをよく示している。