原初的な世界としての泥海

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「終末観と世直し」より:

「大洪水は山津波、川津波を起こし、世界を泥海に化してしまう。それは自然界の破局であり、終末を予測させる光景となる。」
天理教の開祖中山みきの「おふでさき」には、泥海で象徴される世界観が秘められている。」
天理教の考える原初的な世界は泥海であり、そこにうをとみがおり、それを引き出し夫婦を始めた。そもそもこの世の原初は泥海であり、どじょうばかりが泳いでいたが、そこにうをとみが混っていて、よく見ると、人間の顔をしている。これらがやがて人間創造につながって行くというものであって、天理教の世界観の基本構造をなすものといえる。ここでいう泥海は終末でなくて原初であり、そこから世界の立直しが開始する。世界のはじまりと終わりは宗教意識の中において同一の情況を呈するのである。
  土左衛門に君はなるへし千代よろず 万代すきて泥の海にて (『耳袋』巻五)
 この何の変哲もない狂歌は、たまたま江戸の市井で作られたもので作者不明である。だが、はるか末世に泥海の訪れることをほのめかす終末観がうかがえる。ここで泥の海になったあかつきに、また新たなる世界が現出するのだろうか。」