「余裕」のない近代日本の文化

とにかく、余裕を持つことが、そうとう「功成り名遂げた」人でないと嫉妬されるという文化は、皆があまり余裕のない文化で、私などが平凡な余裕論を患者や家族にしなければならなくなるのはそのためだろう。万一自殺でもすれば「それほど思い詰めていたのならなぜ言ってくれなかったのか」などと言う。必ずしもリップ・サービスではなくて痛恨するのは、こういう文化の中で相手を追い詰める側に結果としてなったことの罪の意識も混じっているのだろう。意識的に追い詰めた場合、相手が没落して自殺でもすると、大抵の人は「寝覚めが悪い」。時には鎮魂の必要すら出てくる(中井久夫「大学生の精神保健をめぐって」『「つながり」の精神病理』ちくま学芸文庫、2011年(原著1991年)、p155)。
*私なども、別に「功成り名遂げた」訳ではありませんが、「余裕」を持てるようになったのは、50代という初老に入ってからようやくのことです。
ゆとり教育」に対するバッシングにも、「近代の大人たち」の嫉妬があったでしょう。