治療者の身体性という問題

1.第二の体験は、土居健郎との対話である。土居の見解は、西欧人分析者が「身体化」を低級な防衛機制と見ることは偏見であって。それは、精神を神に、肉体を悪魔に近いものとしたキリスト教文化の文脈の中で理解されるべきものであり、臨床的にはいわれのないことである。それどころか「身体化」こそ重要な再健康化への機制でありうるというものであった(中井久夫「精神科の病と身体ー主として統合失調症について」『「伝える」ことと「伝わる」こと』ちくま学芸文庫、2011年(初出1985年)、p.26)。
 

2.身体化もあったほうが好ましいくらいであって、治療者側の防衛機制の発動と考えて対処するのがよい。実際、治療者は精神科的治療のめぐみにあずかりにくいもので、helpless helperという言葉もあるくらいである。身体的治療や看護を受けることは、治療者にとっては精神の健康回復の、他では得にくい機会でありうる。多くの治療者が、指圧師などの恩恵をこうむっている。スポーツ・武術などを日々実践している人も多いようだ(中井久夫「精神病水準の患者治療の際にこうむることーありうる反作用とその馴致」『「伝える」ことと「伝わる」こと』ちくま学芸文庫、2011年(初出1987年);pp122-123)。