現代宗教と「ゆとり」の文化

-「心に余裕(ヒマ)のある生物、なんてすばらしい!」(岩明均寄生獣』)

-「人間には、善人と悪人がいるのではなく、ゆとりのある人とゆとりのない人がいるのである」(中井久夫)

   仏教徒の方々は共通して落ちついていると記載されていました。心のよりどころがあったり、生きがいがあったりすると、心にゆとりが生まれます。宗教やスピリチュアリティはそのゆとりとしての存在なのでしょう。しかし、ゆとりが生まれることによって、人にやさしくでき、ボランティア活動を積極的にでき、その優しさがめぐりめぐって自分に返ってくる良い循環になる。私の印象だが、現在のボランティアはガクチカ (就職活動の時に問われる、大学生時代に力を入れたことー熊田注)や徳、エゴのためにやっている人が多い。本来のボランティアはそのようなものではないだろう。現代の人々は、宗教やスピリチュアリティにハマってゆとりを持てとは言わないが、「道」を見つけていけるような時間とゆとりができる生活になれば良い(学生のレポートより、転載許可済)。

    効率至上主義の現代日本社会における宗教では、「心のゆとり」が大きなテーマとして浮上してきているのではないでしょうか。

 中井久夫によれば、かつての日本の「茶の湯」などは典型的な「ゆとりの文化」だったのだけれども、近代化のなかで掘り崩されてしまった、ということです。現代日本の場合、そうした近世的な「道の文化」を再活性化させることが、ひとつの手段ではないでしょうか。「ユーモアを忘れないこと」も大切だと思います。