「余裕の文化」としてのおやじギャグ

 テストは乱数発生テストといい、できるだけデタラメに一から一〇までの数を唱えて下さい、と告げ、百回まで唱えさせて、そのデタラメ性をコンピューターで段階づける。これは(私のコメントが原論文に引用されているが)私からみれば心理的余裕の一種の尺度とみられるものである。実際、探検隊で試したところ、内紛や事故の発生など深刻な危機の際には大の山男が全く乱数を発生できなくて、一二三四五六七八九十、とくり返していたそうである(したがって、これは病気の時だけに有用なのではなく、かなり普遍的に人間の「余裕」の目安となりうる)(中井久夫「家族の表象」『「つながり」の精神病理』ちくま学芸文庫、2011年(初出1983年)、p36)。


中井久夫氏によれば、かつての日本には「茶の湯」のような端的に「余裕」を問われる文化が存在したが、1.西欧文化に強制加入させられたこと、2.天明期以降の近代的な「再建の倫理としての勤勉と工夫」という通俗道徳が普及したことによって、「あせる/あせらせる」文化を生きるようになり、「余裕の文化」の基盤が大きく掘り崩されたそうです。現代日本における「おやじギャグ」は、馬鹿にされていますが、近代的な「日本男児」による、ポストモダン的な「余裕の文化」の復興という側面もあると思います。え、「ま、よーゆうわ」?