ケロロ平和主義

──── 「本物の異端は、たぶん、道化の衣装でやってくる。」(安部公房「ミリタリー・ルックについて」『内なる辺境』中公文庫1975年)
    
 共謀罪の導入の是非が国民的話題になっている。「暴力はよくない」という市民の素朴な感情が、結果的にウルトラ監視社会を招いてしまう、という逆説が、一般大衆のレベルで強く意識され始めている。「暴力を解決するために、より上位の審級の暴力に頼る。」というだけでは、この逆説は永遠に解決されず、「国家的暴力」(軍隊・警察)および将来的にはもしかすると「国連的暴力」(国連軍・国際刑事機構)の肥大化を招くだけである。マルクスが提唱した暴力革命論も、ベンヤミンのいう「神話的暴力」(法を措定するための暴力)の一種にすぎず、この逆説は解決できない。上野千鶴子氏が最近提唱している「生き延びるための思想」も、単に上野氏が若い頃かぶれたマルクス主義の暴力革命論を裏返しにしただけで、この逆説を解決できはしない。萱野稔人氏が最近提唱したように(「クォータリー・アット」三号、太田出版、二〇〇六年)、「暴力のアート(術)」、つまり暴力の制御可能性を生活上のさまざまな問題とリンクさせて高めていくような方向性が必要である。
 萱野氏のいう「暴力のアート」の具体的戦略としては、まずは合気道のような「護身術」の普及が考えられよう。ちなみに、合気道の開祖は神道系の新宗教である大本の聖師・出口王仁三郎(一八七一―一九四八)の弟子だった。他の有力な現実戦略として、「暴力をパロディーにして楽しむ」という「暴力のパロディー」を大衆文化として普及させる、という方向性も考えられる。パロディー精神とは、「距離の精神」である。国家的暴力に全面的に同一化するのでもなく、国家的暴力を全否定するのでもなく、「つかずはなれず」で、時には笑い飛ばしながら、暴力行使の「正当性」に「揺さぶり」をかけながら付き合っていこう、という精神である。
 一九六七年に、ロックの神様ビートルズは、“Sergeant Pepper’s Lonely Hearts Club Band”(ペッパー軍曹の「さみしい心」倶楽部バンド)という傑作アルバムを世界的な大ヒットにした。ビートルズは、軍隊という国家的暴力を見事にパロディー化した。国家権力にとって毒のあるビートルズに後に勲章を与えたのは、イギリスという国家の度量の大きさを示したものだと考えられよう。日本の場合は、そもそも自衛隊はイギリスにおける国軍ほどの存在感をもたないので、パロディー化してもあまりインパクトはない。日本人にとって身近な国家的暴力は、交番(日本が考案した交番という管理制度は、今では多くの国家に模倣されている)にいる警察官だろう。一九七六年に、後に日本の歌謡曲の歴史に一時代を画することになったピンク・レディーは、「ペッパー警部」というデビュー曲(同年レコード大賞受賞)において、警察という国家的暴力を見事に茶化してみせた。「ペッパー」という警部の名前は、作詞者の阿久悠が、ビートルズの反骨精神に敬意を表したものだろう。日本人が「カラオケ」で、「ペッパー警部、邪魔をしないでー、ペッパー警部、私たちこれからいいところー」とピンク・レディーの曲を愛唱している間は、日本はウルトラ監視社会にはならないのではないか。
 現在、子供たちの間で「ケロロ軍曹」というマンガ=アニメがヒットしている(マンガは一九九九年から、アニメ放映は二〇〇三年から)。二〇〇六年時点で、マンガの累積販売数は一三〇万部だそうである。大きさ・容姿ともにカエルそっくりの、「地球侵略」にやってきた「キョーアク・カワイイ宇宙人」が、結局シングル・マザーの家族に飼われるという形で人間と共存してしまい、地球侵略と称して「ヘッポコ」なことばかりしているさまをコミカルに描いている。この「キョーアク・カワイイ」カエル型宇宙人は、「軍隊」の口調で話す。語尾に「であります。」を入れて話すのである。第2次世界大戦から60年という時の経過を経て、ついに日本にも旧・日本軍をお笑いにできるだけの「心のゆとり」をもった世代が登場しつつあるのだろう。人間は、笑い合いながら殺し合うことはできない。「ケロロ軍曹」を見て育った子供たちは、大人になっても軍国主義者にはならないだろう。「平和を愛する」日本人は、アニメ「ケロロ軍曹」を全世界に輸出するべきである。「ケロロ軍曹」は、安部公房氏がかつて予言した「道化の衣装でやってきた本物の異端」なのではないか。
 話題を私の専門である宗教にもどすと、神道新宗教である天理教の教祖・中山みき(一七九八-一八八七)は、残された資料から判断すると、自分のもとに訪れた男性に対して、しばしば「力比べ」を持ちかけ、簡単に負かしては「神の方には倍の力」と説いていたようである(「稿本・天理教教祖逸話編」、天理道友社、一九七六年)。この教祖の「力比べ」の逸話をどう解釈するべきだろうか。幕末維新期の激動の時代、奈良の天理教教祖は、大阪で起きた大塩平八郎の乱(一八三七年)について詳しい知識を得ていたことは間違いない。大塩平八郎と同じく、弱者救済の「世直し」を掲げた自分の宗教運動が、ひとつ間違うと「対抗暴力」になりかねないことを、みきは強く意識していたであろう。同時にみきは、人間は暴力の好きな生き物(「人間はあざない(=思慮の浅い)もの」)であり、暴力の廃絶など不可能であることを熟知していた冷徹な現実主義者だった。そこで思慮深いみきのとった高度な戦略が、「暴力のパロディー化」という「暴力のアート」だったのではないだろうか。みきの「力比べ」を見聞した男性信者たちは、神の前では人間の暴力など無に等しいと思い、それからは、国家に対する対抗暴力や妻に対するDVをはじめとして、そう簡単に暴力を振るうことができなくなったことだろう。
 「力比べ」によって、みきは、江戸幕府や明治国家の国家的暴力やDVのような家父長制的暴力はもちろん、大塩平八郎の乱のような対抗的暴力をも含めて、あらゆる暴力行使の「正当性」に「揺さぶり」をかけ続け、「暴力の無効性」を教えながら、「非暴力不服従」の姿勢を生涯貫いたのだと思う。

───「だから日本人は、ピンク・レディーを唄い続けるべきなのであります」