女性の品格?

 坂東眞理子・元男女共同参画室局長の「女性の品格」(PHP新書、2006年)がベストセラー街道を快進撃しています。この本で、坂東さんは、人間関係のゴールデン・ルールは「自分がしてほしくないことは人にもしない」という孔子の教えだとしています。「自分がしてほしくないことは人にもしないというのは品格のある生き方の基本です。これは孔子の教えですが、キリスト教では自分のしてほしいように相手にしないさいといいいます。同じことを言っているようですが少し違います。自分のしてほしいことを相手がしてほしいと思っているとは限りません。人の好みはさまざまだからです。でも自分が嫌だと思うことは、たいてい人もしてほしくないと思っています。」(同上、p212)

 坂東さんの言う「品格ある女性」は、「余計なお世話」は焼かないのでしょう。しかし、新自由主義個人主義の時代風潮の中では、「それはあなたの自己責任」と他人を冷たく突き放すことをやめて、逆に「余計なお世話」を焼くことこそ、新自由主義に代わる「人間の顔をした資本主義」を実現するために必要なのではないでしょうか。現代の日本語では、「余計なお世話」を、興味深いことに「老婆心ながら」という謙譲語として表現します。老婆心は、男性ももつことが望ましい女性的な美徳と考えられてきたのです。

 「老婆心」という言葉の語源は、仏教です。具体的には、「伝燈禄」という仏典です。伝燈禄は、禅宗の書物、宋の僧・道原の書で、釈迦以来の仏教の伝授を記録したものです。もともとは、老婆心とは<老婆心切>とか<親切心>といって、老婆が子供や孫を愛撫し、いつくしむように、師匠が修行者に対して、あたたかくみちびくこと、その心が深く厚いことを意味する仏教語だったのです。絶対無償の行為、その至純のものが「老婆親切」仏道修行の心得なのです。坂東さんの言う人間関係のゴールデン・ルールよりも、老婆心の方が現代の日本社会に必要な発想だと思います。「文明が生み出した最悪のもの、それはババアである」と言い放つ石原慎太郎東京都知事は、老婆心を持ち合わせていないのでしょう。

 坂東さんには、男女平等社会の実現のために尽力した功労者として、高い敬意を払っています。しかし、「女性の品格」に関する限り、エリート女性、新自由主義社会の「勝ち組」女の限界を感じます。この本は、坂東さんの意図に反して、「フツーの若者のフェミニズム離れ」に拍車をかけるでしょう。「老婆心ながら」坂東さんにあえて苦言を呈させていただきます。