国家の品格?

 「武士道」(1900年)で知られる新渡戸稲造(1862-1933)が生涯ジャンヌ・ダルクを崇拝していたことは案外知られていないと思います。

  祖父のジャンヌ・ダルクに対する崇敬の思いは、明治十一年、札幌にいた十六歳頃に始まり、当時のノートによれば、彼はキリスト、ジャンヌ・ダルク仏陀、モハメッドを精神の糧にしていた。ジャンヌの神と国王への献身は、祖父の心奥にあった武士の忠誠心と呼応して相通じるものがあったに違いない、と後年祖母はしみじみと語っている。しかも祖父自身若いときから、神秘的な体験をしていたそうである(加藤武子「新渡戸稲造ジャンヌ・ダルク」YANASE LIFE編集室(編)『とっておきのものとっておきの話』第3巻、芸神出版社、1997年)。

 要するに、新渡戸は実は西欧の騎士道的な「女性の男性性」に自己同一化していたのです。新渡戸自身、自分が「神経質で感情的で、自ら女性の性質を帯びて居ると思ふております。」と自己分析しています(「婦人に勧めて」『新渡戸稲造全集』第11巻、p19、教文館、1969年)。新渡戸が<発明>した「武士道」に依拠している2003年のハリウッド映画「ラスト・サムライ」に端を発する現代日本のサムライ・ブームの正体は、ジャンヌ・ダルクのブームなのです。
 新渡戸は、同時代の第一期フェミニズム(「新しい女たち」)に対して批判的だったというのが通説ですが、そんな単純な話だったのか、疑問です。「ジャンヌ・ダルクになるだけの覚悟はない中途半端な女性たち(新渡戸は『新しい女』たちを『半開の女性』たちと評している)よりは、当時の状況では良妻賢母になる方がよいではないか」と考えていたのではないでしょうか。藤原正彦さんの大ベストセラー「国家の品格」(新潮新書、2005年)は、新渡戸のキリスト教信仰およびこういうナヨっとした女性的な側面をきれいに切り捨ててしまっていると思います。藤原さんは、フェミニズムをまともに敵に回すほどバカではありませんが、「女性天皇女系天皇には断固として反対する」という立場を表明しています。藤原さんは、いわば「半開の男性」にして「エリート主義者の男性」です。

 要するに、かゝる女の新しい思潮(熊田註;女性解放運動)は、何うしても避けられないことであるから、成るべく其説を聞き、取るべきは採り、過激なるところは和らげなければなりません。それには宗教の力が最も適当であるが、日本の宗教には、若い婦人を支配するほどの、偉大なる力のなきことを私は悲しむのであります(同上、p192)。

 これは、新渡戸が1917年(大正6年)に書いた文章です。90年たって、日本の女性たちは「半開の女性」から「全開の女性」へと変貌を遂げつつあります。しかし、日本における宗教とフェミニズムの関係は、90年たっても何も変わっていないようです。