トラウマ治療と「静かな悲しみ」

 外傷的事態は、「しばしば語りえないものをあえて語る」ために、ストーリーは、一般に、現像中の写真のように、もやもやしたものが少しずつ形をとってくることが多い。ここで、治療者があせってはよくない。好奇心が先に立つようではすべては失われる。治療者内面の正義感はしばしば禁じ得ないが、治療の場の基底音としては、むしろ、慎ましい「人性(あるは運命)への静かな悲しみ」のほうがふさわしいだろう。外傷はすべての人に起こりうることであり、「私でなくなぜあなたが」(神谷美恵子)とともに「傷つきうる柔らかい精神」(野田正彰『戦争と罪責』)への畏敬がなくてはなるまい(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』みすず書房、2004年(初出2000年)、p103)。


*私が木嶋佳苗被告をめぐるメディア環境に欠落していると感じるのは、中井氏のいう「静かな悲しみ」です。