幼児性虐待と木嶋佳苗被告

 なお、幼児虐待、特に性虐待においては、常に真偽が問題となる。日本は小児ポルノの世界最大の輸出国である。これは幼児性虐待の広汎な潜在を意味する。家庭だけでなく撮影の場においても性虐待が行われているはずであるが、末端の売人くらいしか検挙されてないときく。法廷に耐えうる証言を子どもから得る「司法面接」forensic interviewの訓練は、わが国では全然なされてこないに等しかったが、最近、要望に応えて一冊の翻訳が出版された。ウェンディ・ポーグ他『子どもの面接ガイドブック―虐待を聞く技術』(藤川洋子・小澤真嗣監訳、日本評論社、2003年)である。この本に記されているような横の連帯は早急に整備され制度化される必要があるはずである。
 虐待にかんする証言の信憑性は白か黒か、全か無かではない。それは、催眠術や薬物使用を避けることはもちろん、司法面接としての現実原則に沿った努力を重ねて少しずつ法廷に耐えうる「ヴァリディティ」(真実妥当性)と「コンセンサス」(一般的合意)を獲得する方向に前進することである(中井久夫「あとがき」『徴候・記憶・外傷』みすず書房、2004年、p402)。


*やはり私は、死刑判決を受けた木嶋佳苗被告は、幼児性虐待に起因する解離性パーソナリティ障害(俗にいう多重人格)ではないか、という疑いを捨てきれません。法廷やブログで見せる彼女の「名器自慢」や、「モテ自慢」のような異様な強気ぶりは、幼児性虐待によって身につけた「恥(shame)の感覚」に対する、アドラーのいう「過補償」ではないでしょうか?