旧日本軍と多重人格

 世界の多くの地域で、過去には、子供が大人の社会に加入する際(イニシエーション)、性的・身体的な虐待(肛門性交、切除、および殴打などその他の虐待)を含む残酷な儀式がかかわっていた。そのような儀式の効果(あるいは意図でさえも)は、成人に多重人格障害への傾向をつくりだすことなのだろうか。人格を分裂させる能力が積極的な利益をもたらす(あるいはそう考えられていた)ような状況ーたとえば、身体的または社会的な苦難に対処しなければならなくなるときーはあるのだろうか。多重人格はすぐれた戦士をつくるのだろうか(ニコラス・ハンスリー「自己について語るー多重人格障害の評価」『喪失と獲得ー進化心理学から見た心と体』紀伊国屋書店、2004年(原著2002年)、p.70)。

日本軍は、戦争神経症天皇の軍隊にあるまじきこととし、もっぱら「シュラークテラピー」(殴打療法)を行っていた。その治療像は、上級者にへつらい、下級者には威張る、なんとも嫌な人格への変換であった。これはトラウマによるトラウマの“治療”であるが、「トラウマによるトラウマの治療」は日本の専売ではなく、西欧でも第一次大戦の際に行われた(中井久夫「トラウマとその治療経験ー外傷性障害私見」『徴候・記憶・外傷』みすず書房、2004年、p.86)。


*旧日本軍が戦争神経症に対して「殴打療法」をもって対応したことが、兵士たちに「多重人格への傾向」をつくりだし、結果的には以下のような残虐行為を平然と行える兵士たちを育成したのではないでしょうか。そもそも、「アイデンティティ」という概念自体が、この概念の提唱者であるエリク・H・エリクソン(1902-1994)によると、戦争で自分自身が分からなくなった精神障害を指すことによって生まれたことを想起してもいいでしょう。


強姦好きの日本兵も、絶えず前進行軍しなければなりませんから、隊列をくずすような強姦はあまりできないんです。その替わり私たちの部隊のやり方は、女の下腹部だけ裸にして、そこにニンジンやイモやコウリャンがらを突っこんだりして遊んでいました。ニンジン、サツマイモといってもそれは近くの畑にころがっている泥土のついたままのもんです。こんな具合にすると、本当に苦しがってもだえ死ぬ女性がどんどん出ました。・・・・・・実はそれに、私も少しの良心の呵責もなく加わっておもしろがっていたんですから・・・・・・[証言者は、菊地上等兵(当時)、熊沢京次郎『天皇の軍隊』所収](彦坂諦『男性神話』径書房、1991年、p.161)


第二次世界大戦に際して日本人が<再発見>した近世の兵法家・宮本武蔵が詠んだと伝えられる次の和歌を、東大名誉教授の仏教学者・鎌田茂雄(1927-2001)は「禅とは異なる独自の境地を詠んだもの」と肯定的に評価していますが、実はこれは、精神医学で言う「解離」の典型的な感覚を詠んだものではないでしょうか。


「乾坤(熊田註;天と地のこと)を其侭庭に見る時は、我は天地の外にこそ住め」