女性の侠気、またはオヤジになりたくない息子

 拙著『男らしさという病?』は、「女性の侠気(女性の男性性)」に「オルタナティヴな男性性のありか」を求めています。太宰治も、自伝的小説『人間失格』(1948年)において、「男性よりもむしろ女性のほうに侠気を感じる」という趣旨のことを述べています。もちろん、私が高校時代に『人間失格』を読んだ時の記憶が私の頭の片隅に残っていた可能性はあります。しかし、よく似た感性をもった最大の理由は、太宰も私も、「父親への同一化」を意識的に拒否した点にあるのでしょう。「オヤジになりたくない息子」は、役割モデルをどこに見い出せばいいのか、苦労するのです。