石原慎太郎と「男らしい」国家
女の意地というのはあまり聞かないし、女にも女なりの心意気というものはあるのだろうが、意地を構えての突っ張りはやはり男ならではのものだろう。傍から見れば何を馬鹿なと言われる所行はやはり男の世界の物事だろう。それで損をしても心の隅である納得がいけば男の心は晴れる。それが男のマッチョということだ。(中略)
国家としての矜持、民族としての誇りを過剰に抱くのも危険かもしれぬが、私たちは個々人の意地の上に組み立てられる国家民族の正当な自負を持ち直すべき時に差しかかっているのではなかろうか(石原慎太郎『男の業の物語』幻冬舎、2020年、pp.218-223)。
*「意地の系譜」(佐藤忠男)と「集団主義」(加藤周一)を特徴とする近代日本の覇権的男性性(拙著『男らしさという病?』参照)。私は、国益を損なう危険な発想だと思います。こういう発想は、石原慎太郎氏の世代でおしまいにしたいものです。私は、老人の「男の意地」ために「損をする」のはごめんです。