児童ポルノ規制条例をめぐる東京都の暴走(続)

mixiニュースより転載 http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=32&id=1136263


 世界を白と黒に分け、黒いものを抹消すれば物事がよくなるという思考は非常に危険です。もし青少年によくない影響を与える風潮があるのであれば、それは虚構ではなく、現実そのものでしょう。何の検証も行われないままに不快な虚構を抹殺してしまうのではなく、どんなに回り道であっても、この現実社会そのものをよりよくしていくことが、文化的な国のやり方ではないでしょうか。

 今回の改正案については、オタク文化への無理解というよりも、キャラクター表現へのはっきりとした蔑視を感じます。もともと、漫画の神様、手塚治虫さんは、自分が医学博士号を持つことで、漫画への偏見が収まればと考えていたといいます。永井豪さんは、「ハレンチ学園」(1968年連載開始)のときのバッシングは、身の危険すら感じるほどだったと語っています。

 バブル崩壊後、失われた10年を経てすっかり実業分野に自信を失った日本社会は、キャラクター表現が海外で評価されているのを知り、それを「クールジャパン」などともてはやすようになった。そして、かつてのような偏見、批判は下火になったかのように見えました。しかし、ある特定のイデオロギーに凝り固まった人や、文化に対して視野の狭い人が集うコミュニティでは、かくも古色蒼然とした偏見が、まだあることを痛感させられます。白昼にネッシー多摩川をゆうゆうと泳いでいるのを見た気分、といいましょうか。


石原慎太郎都知事に、『処刑の部屋』という小説があります(『太陽の季節』収録、幻冬舎、2002年)。男子大学生二人が、ナンパした女子大学生二人に、ビールに混ぜて睡眠薬を飲ませ、強姦するという話です。被害者の二人は泣き寝入りし、被害者のひとりのインテリ女子学生は、警察に訴えるどころか、逆に自分を強姦した主人公に恋をする、という現実にはありえない「オヤジ本位」の願望に貫かれた筋立てになっています。私は個人的にはこの「オヤジ本位」の小説を滑稽に思いますが、この小説が、その後の若者による類似した性犯罪事件に影響を与えたとは思わないし、ましてやこの本を18禁にするべきだとか、禁書にするべきだとは思いません。表現の自由とは、そういうものだと思います。