木嶋佳苗被告とPTSDの発見困難

―「女になった私が売るのは自分だけで/同情を欲した時にすべてを失うだろう」(椎名林檎『歌舞伎町の女王』)


 一般に外傷関連障害は決して発見しやすいものではない。葛藤を伴うことの少ない天災の場合でさえ、アンケートを取り、訪問(アウトリーチ)しても、なお発見が困難なくらいである。人災の場合になれば、患者は、実にしばしば、誤診をむしろ積極的に受け入れ、長年その無効な治療を淡々と受けていることのほうが普通ある。外傷関連患者は治療者をじっと観察して、よほど安心するまで「外傷患者であることを秘匿する」(「」部原文ルビ)。
 PTSDの発見困難はむろん診療者の側の問題でもある。(中略)
 しかし患者の側の問題は大きい。それはまず恥と罪の意識である。またそれを内面の秘密として持ちこたえようとする誇りの意識である。さらに内面の秘密に土足で踏み込まれたくない防衛感覚である。たとえば、不運に対する対処法として、すでに喪の作業が内面で行われつつあり、その過程自体は意識していなくても、それを外部から乱されたくないという感覚があって、「放っておいてほしい」「そっとしておいてほしい」という表現をとる。
(中略)
 第三の問題として、意識化しやすい症状としにくい症状とがある。(後略)(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』みすず書房、2004年(初出2000年)、pp.96-97)。


*私は、死刑判決を受けた木嶋佳苗被告は、幼児期性的虐待に起因する解離性パーソナリティ障害(俗にいう多重人格)ではないか、と疑っています。しかし、それは少なくとも「発見困難」でしょう。PTSD治療に熟達した精神科医によって精神鑑定が行われることを希望します。