自己治療のための暴力と代替療法

 例えば自分の手首を切るとか、中二階から飛び降りるとか、あるいは行きずりの人を殴るということがありますが、殴るという行為の瞬間は心身が一まとまりになるのです。乱暴する瞬間はいわば皮質下的な統一があるのですね。みなさんも壁でも叩いてみるとおわかりだと思います。これは医療以前だから防ぎようがないといえばないんだけれども、ある徴候がつかめれば今後は予防できるかもしれない。病棟の中でも、しばしば乱暴とか、飛び降りとか、リストカットというような行為をなさる方の中には、こういう自己感覚の薄さによるものがあると思います。
(中略)
 こういう場合にどうするかということですけれども、私が使った手段は、なんと粘土の塊を渡すことでありました。まだ駆け出しの精神科医の頃にやったんですね。何かを握っているのは実在感があるのですよ。壁を叩くよりも粘土をこねまわしているほうが実在感がよみがえってきます。赤ちゃんが最初に子宮の中で自己を認識するのは指しゃぶりであり、自分の身体を触ることなんですよね。そのような対象に粘土を使う。何も細工しなくていいんです、粘土をこねていれば。(後略)(中井久夫統合失調症の経過と看護」『徴候・記憶・外傷』みすず書房、2004年(初出2002年)、pp.216-217)


*<自己治療のための暴力>とその<代替療法>を考える上で、とても示唆的な意見です。DVや虐待の問題にも応用できそうです。