「永遠の0」が文部科学省特別選定映画に

http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/movie/020301/1340244.htm


 映画評論家の佐藤忠男は、男性に<私の領域>(「女の世界」)の切り捨てを要求する<忠義>の論理を嫌い、代わりに「男性が<公の領域>に生きようとすればするほど、<私の領域>に対する負い目を増していく」ことを「情感的論理の世界」と呼んで称揚しました。「永遠の0」は絵に描いたような「情感的論理の世界」を描いた映画であり、<任侠映画>が大好きだった団塊の世代に属する男性知識人にとっては、批判しにくい作品でしょう。しかし、佐藤忠男の議論は「男性中心主義」(「(命を助けてくれた戦友に対する)義理と(妻娘のために生き延びたい)人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」)を払拭できていません。フェミニスト理論家であったイヴ・K・セジウィックの提出した「ホモソーシャリティ(男性間の非・性的な絆)」概念を理解できていないのです。
 「永遠の0」は、「右でも左でもない」かもしれませんが、あくまで「男目線」に徹した作品であり、結局は「男らしい国家」(Manly State、シャルロット・フーパー)に回収されてしまう作品だと思います。