全共闘世代と「男どうし」について

杉田二郎


男どうし


作詞:北山修
作曲:杉田二郎


君にはかわいい 恋人ができたという
我が家の嫁さんには 子供が
しらけた時代だね うすっぺらな言葉だけど


友情はこわれないと
むきになって叫びたい この頃だ
ふるさとに帰ったら 二人だけで会おうよ


手紙だけでは 言えない話をしようよ
だって男どうしじゃないか
昔のように話し明かそうよ


ばかがつくほどに 正直すぎる君だから
さみしさに酔いしれる時もある
昔ならいつでも ゆかいな仲間たちが
すぐにやって来ただろう 泣いて笑った幼な友達だ
ふるさとに帰ったら 俺にまかせておくれ


秋のまつりの頃だし みんながそろうだろう
だって男どうしじゃないか
昔のように話し明かそうよ


ふるさとに帰ったら 顔だけは出すんだよ
無理を承知で あの娘もひっぱり出すつもりさ
だって男どうしじゃないか
昔のように話し明かそうよ
だって男どうしじゃないか
昔のように話し明かそうよ


全共闘世代(1946年生まれ)の精神科医九州大学名誉教授)にして人気ミュージシャンであったこの曲の作詞者・北山修は、『戦争を知らない子どもたち』を作詞しましたが、同時にこの『男どうし』という曲も作詞しました。「ふるさとに帰ったら 顔だけは出すんだよ/
無理を承知で あの娘もひっぱり出すつもりさ/だって男どうしじゃないか/昔のように話し明かそうよ」という部分に、北山修が、「反戦」を歌いながらも、イヴ・K・セジウィックのいう「ホモソーシャリティ」(男性間の非・性的な絆)の特権性―そのためなら、「無理を承知で あの娘もひっぱり出す」ことすら許される―は全く疑っていないことがよく現れています。「無理を承知であの娘もひっぱり出す」ことは、従軍慰安婦問題のような男性セクシュアリティの諸問題にも直結していると思います。やはり全共闘世代に属する伊藤公雄氏(京都大学教授)の提唱している「メンズリブ運動」の限界のひとつも、「男どうし」の関係性が持つこの特権性を対象化しきれていない点にあると思います(拙著『男らしさという病?』参照)。戦後日本の「企業戦士」を「女としかセックスしないゲイ」と呼んだのは、橋本治でした。