戦争とアダルトチルドレン

*以下の文章は、団塊の世代(グローバルな戦後第一世代)に属するある男性の手記です。この人の職業は、社会福祉士です。


 私の父は沖縄戦の生き残りでした。北海道から沖縄に送られた部隊は、11000名だったそうですが、生きて帰ってきたのは1000名です。父はその中の一人でした。負傷で動けない兵隊となった父は、青酸カリ入りのミルクを飲まされ、それでも生きて帰ってきました。
 しかし生きて帰ってきたことそれ自体が本人には不本意なことで、戦場体験がフラッシュバックすると別人のような状態になりました。普段は穏やかな人でしたが、特に酒を飲むと人が変わったようになり、母と私と妹は部屋の隅で小さくなっていたことを覚えています。
 加藤陽子によると日本は、日清戦争以後太平洋戦争までの50年間で、ほぼ10年に一度の戦争を経験しているそうです。この間に戦場体験をした若者たちはどれだけになるでしょう?その兵士たちが故郷に帰って家庭生活をする。戦場体験がどれほどのもので、子育てや家庭生活、そして社会活動にどれだけ影響を与えたのでしょうか。私は日本社会に本質的な暴力性を感じるのですが、その理由はここにあるのではないかと思っています。
 父は自分の体をいじめ抜いた末、病床で父をのぞき込む私達に「戦友たちが迎えに来た、じゃまをするな」とうわごとを言いながら亡くなってゆきました。その父は酒を飲んで人が変わる「酒乱」と言うレッテルを親戚からも貼られていました。しかし、そうではないと、今は確信できます。私自身は一時流行した言葉で言えば「アダルトチルドレン」だと感じています。


信田さよ子さんがどこかで書いていましたが(出典は失念しました)、アダルトルドレンの自助グループでは、「帰還兵だった父親の暴力」は一大テーマだそうです。「戦災孤児」をもじって、「戦災アダルトチルドレン」という言い方もできるかもしれません。


ー「個々の戦争犯罪人が問題なのではない。戦争自体が犯罪なのだ」(エランベルジュ)