<自己完成のための殺人>の発見と変容ー『宮本武蔵』をめぐってー
『愛知学院大学人間文化研究所紀要』25号原稿(2010年9月刊行)
<題名><自己完成のための殺人>の発見と変容−『宮本武蔵』をめぐってー
<著者>熊田一雄(宗教文化学科准教授)
<Title>The Discovery and Transformation of <Murder for Self-completion>:About“Miyamoto Musashi”
<Author>Kazuo KUMATA(Associate Professor of Department of Religious Culture)
<要旨>
本稿の目的は、近代日本の大衆文学のキャノンである吉川英治の小説『宮本武蔵』(1935-1939)を文化社会学的に考察することにある。まず、『吉川武蔵』に見られる「自己完成のための殺人」という「不毛な人格美学」に対する佐藤忠男による批判を紹介し、吉川武蔵の説く「大衆自立思想」が軍国ファシズムによって歪められていたことを見る。次に、1990年代以降の井上雄彦のマンガ『バガボンド』を取り上げ、この作品が吉川武蔵の大衆自立思想を踏まえつつも、<自己完成のための殺人>に「他者性・社会性・創造性」を補って現代的に変形していることを見る。最後に、岩明均のマンガ『剣の舞』を紹介し、この作品が<自己完成のための殺人>に対するアンチテーゼとなっていることを見る。
<キーワード>
『宮本武蔵』/大衆自立思想/自己完成のための殺人/『バガボンド』/『剣の舞』
1.はじめに−吉川英治の『宮本武蔵』
本稿の目的は、近代日本の大衆文学のキャノンである吉川英治の小説『宮本武蔵』(1935-1939)を文化社会学的に考察することにある。本稿では、歴史上に実在した剣豪・宮本武蔵(1584?-1645)については一切扱わず、宮本武蔵を素材に吉川英治(1892-1962)が書いた大河小説『宮本武蔵』(以下、『吉川武蔵』とも略記する)と、吉川武蔵に影響を受けたその後の大衆小説・映画・ドラマ・マンガ・アニメだけを考察対象とする。
吉川英治の小説『宮本武蔵』は、近代日本における大衆文学のキャノンのひとつである。文芸評論家の縄田一男は、今(2010年時点)もなお衰えぬ吉川武蔵の大衆人気について、次のように説明している。
私は第一部で武蔵は、眼の前に何か困難な状況が横たわり、それに向って、大衆が突き進まなければならない時、読まれ、或いは、読み変えられてきた、と書いた。その時とは、戦中、戦後、そして今である。武蔵はその三つの時期において時代の精神の象徴と成り得たのである。武蔵が、唯一、時代の象徴とならなかった時代はいつか、といえば、それは高度経済成長期からバブル全盛期である、ではその時期、時代の象徴となり得た人物は誰か。それは、坂本龍馬であり、織田信長であった。そして、この二人と武蔵の違いを記せば、それは一目瞭然−龍馬と信長は組織のリーダー足り得るが、武蔵はなり得ない、ということであろう。
(中略)
そして、今、その管理社会ももはや遠く、バブル崩壊後の草木も生えぬ有様の中、既成の価値観が崩壊し、暗中模索で歩を進めねばならぬ時代に、剣一筋で己の人生を切り開く武蔵の生き方が「うらやましい」、つまりは、一つの希望として復活してくるのは、決して不思議ではあるまい。今、求められているのは脆弱さを管理してくれる組織ではない。あくまでも強靱な<個>だ。武蔵は、国家や組織に信が置けぬ時、個は個としてあるということを強烈に問うキャラクターであり、武蔵が『バガボンド』=漂泊者として再生してくる意味もここにあるのだ(縄田2010(初出2002);pp.382-384)。
吉川武蔵は、近代日本における大衆の自立思想を表現した作品だというのである。近代日本における大衆自立思想は、映画評論家の佐藤忠男が指摘するように、「意地の美学」と言い換えることもできるだろう。
意地とは、自分に引け目を感じていながら、その引け目でもって自分自身がほんとうにダメになってしまわないよう、せいいっぱいの虚勢をはることだ、というふうにも定義し直せるかもしれない。
繰り返し映画化されてやまない吉川英治原作の『宮本武蔵』はとくに内田吐夢監督、中村錦之助主演版の六〇年代の五部作がじつに面白いと思うのだが、見ていてふっと、しかし剣道の修行だといってやたらと人を殺すのはどういうわけだろう、まるで殺人鬼ではないか、おまけにそれが精神の鍛錬にもなるとは、なんという非人間的な思想だろう、と、そんな映画に興奮している自分自身にまで疑問をもつことがある。しかし考えてみると、宮本武蔵という男は、少年のときに関ヶ原の合戦に参加して敗残兵となっていらい、もう、いくら武術を磨いても実際の役には立たない戦争のない時代にほおり出されてしまっているのである。しかし彼は、自分には武術しか取り柄がないと思っている。武術を捨てたら自分はゼロだと思っているらしく、遮二無二、修行に励む。そして、実用にはならなくても武術は精神修養の役にも立つ、という武術の新しい用法を生み出すのだ。そう思うと、宮本武蔵という男のすさまじい闘志も、実は自分は無用の存在ではないかという不安感や引け目をふりはらい、つきぬけるための、がむしゃらさ、として理解できる(佐藤2009;pp.69-70)。
精神科医の中井久夫が指摘するように、「意地」には、「自己中心性」と「視野狭窄」が伴う。「意地」とは本来「非常事態を強行突破するための構え」であり、「本来無冠の弱者にのみ許される」ものである(中井・佐竹(編)1987、p.286)(1)。1990年代以降、バブル崩壊後の経済状況にあって、社会的弱者たる若者たちは、「生き延びる」ためには「意地」を張る、つまり「自分という存在の正しさ」を証明する必要があったのだろう。
2.佐藤忠男の<自己完成のための殺人>批判
大衆の自立思想を描いた吉川武蔵に対しては、同時に「自己完成のための殺人」を繰り返す「不毛な人格美学」を説いているという佐藤忠男の痛烈な批判がある。
(前略)ただ、納得できないのは、ひとりの侍の武者修行のためには、たくさんの人間が片っ端から殺されてもそれは当たり前だ、という思想が、この小説の中ではどこでも批判されたり、検討されたりはしていないことである。(中略)(熊田註;立身出世という)強烈な野心にとり憑かれた男の悲劇的な半生、ということであれば、これは、今日の人間にとっても納得のいく物語であり得る。(中略)しかし武蔵は、自分の野心を修業によって抑えて、しだいに、人間完成、自己完成、という観念に置き換えていってしまう。しかし自己完成のための殺人とは何か。(中略)吉川英治の庶民的な人格主義とは、そもそもどういう質のものか。
(前略)自己完成とはなにかということを作品のなかから読み取ろうとしても、せいぜい、どんな危機にのぞんでも動揺せず、泰然自若としていられること、どんな種類の攻撃にぶつかっても臨機応変に自分の持つ技量をフルに発揮できること、ぐらいのものでしかない。あと、禁欲生活に耐えられること、とか、たやすく個人的な感情に動かされないこと、などの美徳も含まれているが、いずれにせよ、その程度のことである。(中略)武蔵が営々と人を殺しながら築きあげた美徳とは、誰のためにもほとんど役に立たず、ただひたすらなる自己満足のためでしかない。ヘンな美徳だ。
(前略)確かに、「宮本武蔵」を軍国主義的な作品だと言ったら言いすぎになるだろうが、この土台にある自己完成ということの内容が、軍国主義イデオロギーの土台にあった人格主義美学の内容とほとんど一致するものであったことも確かである。(中略)イデオロギーとしての軍国主義は挫折しても、この種の人格美学は、そう簡単に否定されずに、いまもなお、強い郷愁となって日本人の中に生きているのである。三島事件に、やくざ映画に、スポーツ根性もののドラマに(佐藤1987;pp.183-185)。
佐藤忠男に筆者が付け加えるならば、三島事件・やくざ映画・スポーツ根性もののドラマだけではなく、劇画『ゴルゴ13』やオウム真理教事件にも、佐藤のいう「不毛な人格美学」は影響を与えているように思われる。吉川武蔵に見られる佐藤のいう「不毛な人格美学」を、本稿では<自己完成のための殺人>と命名する。
3.<自己完成のための殺人>の発見
<自己完成のための殺人>は、近代日本における大衆の自立思想が、吉川武蔵が書かれた当時の軍国ファシズムに歪められたものと見ることができる。<自己完成のための殺人>の背景には、吉川英治が私淑していた右翼思想家・安岡正篤(1893-1983)の影響がある。安岡正篤を研究したジャーナリストの神渡は、安岡正篤の吉川武蔵に対する影響について、次のように述べている。
吉川英治研究家の松本昭(昭和女子大学教授)は『吉川英治-人と作品』のなかで、この青年運動といい、農村巡回講演会といい、そのモデルとなっているのは安岡ではないかと指摘する。また、『宮本武蔵』のなかで「鍬も剣なり」といって伊織と耕地を耕す場面は、安岡が日本農士学校の教育で意図した農本主義をドラマ化したものではなかったか、という。
事実、吉川の安岡への傾倒はひとかたならぬものがあり、吉川は安岡の折々の随筆や詩歌を集め、これほど豪華な本はないといわれるほど立派な装丁をみずから施して、『童心残筆』として新英社から出版した。口絵には、日本画家の新井洞巌のものを採用している。
(中略)
宮本武蔵は吉川英治が描くように、確かに求道的な名人だったのか。直木三十五が主張するようにそれほどの名人ではなかったのか。ふたりが昭和七年九月二十八日号の読売新聞主宰の座談会で熱い論戦を演じる以前の昭和六年六月、安岡は宮本武蔵を高く評価して『日本武道と宮本武蔵』(金鶏学院刊)を書いており、中谷武世が安岡を知るきっかけとなったのも、「東洋思想研究」(大正十二年十号)に掲載された「二天宮本武蔵心法と剣道」だった。前書は吉川の蔵書のなかにも入っており、安岡が述べた宮本武蔵の生涯や伊織との出会い、独行道十九カ条や『五輪書』の解説は吉川に少なからぬ影響を与えている。詳しいことは松本昭の研究に譲るとして、武蔵の人間的成長を見つめる沢庵和尚という設定には、多分に安岡という存在を参考にしたのではないかと思う(神渡1991;pp.193-195)。
国文学者の松本昭は、吉川武蔵に直接に影響を与えた安岡の著作は、『日本武道と宮本武蔵』(安岡1931)ではないか、と推定している。
時代が、武蔵を招いたというのである。つまり、今日最も欠けているのは、強固な自己を持って希望を失わずに力強く生きてゆくという信念だ、というのだ。だから吉川英治は、こうした信念をもった理想的人物として宮本武蔵を書いたというのである。
ところで、この英治の主張に、もう一歩、踏み込んでみると、どうもそこには安岡正篤の姿が浮かんでくる。というのは、英治の蔵書の中にある安岡正篤の『日本武道と宮本武蔵』(昭和六年六月三十日刊、金鶏学院)という小冊子である。その冒頭で安岡は、王陽明の「自家の無尽蔵を抛却して、門に沿ひ鉢をもって貧児に倣ふ」との金言を引き、こう述べる。
誠に自己の失ひ易ひものは生命でもない。財産でもない。実に自己である。真己である。我れが真実の我を失う処に、あらゆる不安−焦燥−模索が始まる。現代も亦其の困惑の底に陥つた時である。現代人は自己自身を失つたばかりでなく、日本人として日本そのものがわからなくなつている。
これは前述の吉川英治の武蔵を書く理由と同じ論法ではないか。当時のふたりの交友を考えると、この一致は単なる偶然ではなく、恐らくは手をとり合って同感した程の一致ではなかったろうか。さらには安岡が、この小冊子で述べている宮本武蔵の生涯を始め、伊織との出会い、独行道十九箇条や五輪書の話をみると、英治はこれからヒントをえて武蔵に取組んだに違いないと思われるのである(松本昭2000(初出1982);pp.146-147)。
<自己完成のための殺人>は、軍国主義の時代における吉川英治(1892-1962)と右翼思想家・安岡正篤(1893-1983)の合作と見てよいだろう。
4.『バガボンド』と<自己完成のための殺人>の変容
佐藤忠男が痛烈に批判した<自己完成のための殺人>については、その後もさまざまな批判が提出されている。吉川武蔵をプロジェクト研究した成果をまとめた水野・櫻井・長谷川(編)『「宮本武蔵」は生きつづけるか-現代世界と日本的修養-』(文眞堂、2001年)は、吉川武蔵が描いている<修養>に現代的可能性を認めるが、「他者性・社会性・創造性」を補わなければどうしようもない、と要約している。
櫻井良樹は、吉川武蔵と『バガボンド』について、以下のように評価している。
その後、たしかに(熊田註;吉川英治の)『宮本武蔵』は読まれなくなった。では、それは修養主義を中心とする「武蔵イデオロギー」の衰えを意味するものであったのか。現代の大学生を対象とするアンケート結果からは、いちがいにそう言い切ることはできなさそうである。修養に関するいくつかの要素(たとえば自力主義や克己心)は衰えているものの、努力を重視するような精神主義的傾向は残っていた。また行動は伴わないものの、修養を求める願望は高いことがわかった。
これに実際に読んでもらった学生の感想などを加えると、『宮本武蔵』が生き残っていく可能性はあると言えそうである。井上雄彦が原作に共感して、自分なりの武蔵像を劇画という新たな媒体で表現し始めたこと、そしてその作品が受け入れられたことも傍証となる。ただし、吉川版『宮本武蔵』がそのまま昔の形で読みつがれていく可能性は多くはないだろう。現代の学生たちは武蔵の孤独さに違和感を感じ、井上の描く武蔵は他者への共感に満ちている。このように吉川の構築した武蔵像は、井上が今まさに挑戦しているように、それぞれの時代の雰囲気に影響され、その姿を少しずつ変形させながら、残っていくのではないだろうか(櫻井2003;pp.212-213)。
井上雄彦が吉川武蔵をマンガ化した現代の大ベストセラー漫画『バガボンド』(1999-続刊中)は、途中から「他者性・社会性・創造性」を補うことによって、<武蔵的人格美学>と一線を画している。NHKの番組『トップランナー』(2009年7月6日・8月26日)に出演した時に、井上雄彦は、『バガボンド』の連載途中で1年間長期休載したのは、「斬りまくる武蔵と〆切に追われる自分の姿が重なり、描けなくなったから」と説明していた。この時期に、井上は<自己完成のための殺人>にはっきりと距離をおいたのではないだろうか。以下に引用する『バガボンド』のネームは、この休載期間の後に書かれたものである。
−殺し合いの螺旋から/俺は降りる(井上雄彦『バガボンド』30、講談社、2009年)
「競う相手がいた/己のすべてをぶつけさせてくれる相手がいた/だからここまで来れた/俺はひとりではなかった/(熊田註;天下無双という)陽炎を追うのではなく技の極みを/その極みのほかは何も望まない/天のカミさんよ/命を投げ出しぶつかるしかない相手と/もう一度命のやりとりを/もう一度だけ俺にくれ」(同上)
井上雄彦は、<自己完成のための殺人>に「他者性・社会性・創造性」を補って、現代的に変容させたと言えるだろう(2)。
5.岩明均と<自己完成のための殺人>の解体
井上雄彦の『バガボンド』(1999-)は、<自己完成のための殺人>とは一線を画しつつも、なお、「技の極み」を追う<殺人剣の求道者・武蔵>を描くものであった。
2009年に劇場公開された押井守原作のアニメ『宮本武蔵-双剣に馳せる夢-』は、「立身出世」して「兵法家」となり「関ヶ原の合戦に雪辱すること」を生涯の目標として生きた「徹底した合理主義者」という宮本武蔵解釈を提出している(西久保2010)。押井は、井上雄彦の大ヒット中のマンガ「バガボンド」が吉川武蔵から継承した求道者的な宮本武蔵解釈に異を唱えたくて、この作品を世に問うたのだろう。
<自己完成のための殺人>に対するアンチテーゼを、「剣の求道者・武蔵」を描く『バガボンド』や「立身出世を追う武蔵」を描く押井のアニメよりもはるかに鮮明に打ち出しているのは、岩明均の歴史マンガ『剣の舞』(2001)である。
『剣の舞』は、戦国時代末期の伝説的な剣豪にして兵法家・上泉信綱(上泉伊勢守)(1507?-1588?)の弟子(甥とも伝えられる)・疋田文五郎(疋田文五)(1527?-1625?)を主人公としている(3)。歴史の中に埋もれていた剣豪に新たに光を当てているのである。
『剣の舞』の粗筋は以下のようなものである。時は戦国の世。農家の娘ハルナは、戦のどさくさでならず者の武士たちに家を襲われ、陵辱された上に家族を皆殺しにされてしまう。ハルナは武士から盗んだ碁石金を元手にして、天下一と名高い上泉伊勢守の道場に弟子入りし、武士への復讐のために剣術を習おうとする。そこで伊勢守の門弟であった疋田文五郎は、伊勢守が考案したばかりの撓(しない、竹刀)を手に、ハルナに剣を指導することになった。再び戦が起こり、疋田文五郎は参戦する。その間に、ハルナは復讐に成功するが、自分も命を落としてしまう。疋田文五郎が参加した軍勢は破れ、疋田は「城一つ、女一人守れない」という「剣の限界」を痛感する。以後疋田は、剣を捨て、以後は必ず撓を用いて人を殺さない試合をし、無敗の強さを見せる。
以下のネームは、疋田が撓でハルナに稽古をつけている最中に、ハルナと疋田の間で交わされる会話である。
(ハルナ)「文五郎さまは・・・・・・なぜ戦うんです?」
(疋田)「実戦に生かすためにわれらは剣の腕をみがく/そのための剣だろう」
(ハルナ)「つまり結局は『手段』ですよね・・・・・・とすると文五郎さまの『目的』って何でしょう」
(疋田)「なに・・・・・・?/目的・・・・・・/目的か・・・・・・/う〜〜〜ん」(岩明2001、p.220)
この会話は、疋田文五郎という剣の名人が、「立身出世」はもちろんのこと、<自己完成のための殺人>をもすでに全否定していることを示している。『バガボンド』は、<自己完成のための殺人>と一線を画しつつも、なお「技の極み」を追う<殺人剣の求道者・武蔵>を描くものであった。それに対して、『剣の舞』の主人公は、「剣によって人を殺すこと」自体の空しさに気づくのである。『剣の舞』は、<自己完成のための殺人>の否定という点で、『バガボンド』よりもはるかに徹底しているのである。
6.おわりに−これからの『宮本武蔵』
1990年代以降、バブル経済崩壊と平成大不況の中で、社会的弱者である若者は、「生き延びる」ために「意地を張る」という形で自己主張する(「自分という存在の正しさ」を証明する)必要があった。そこに、吉川武蔵を原作としつつも、<自己完成のための殺人>とは一線を画したマンガ『バガボンド』が大ヒットした理由があった。しかし、ポストモダンとも第二の近代とも評される現代の時代状況の中で、「総力戦=システム化社会」が生んだ<武蔵的人格美学>は、基本的には葬られつつあるように思われる。
岩明均の『剣の舞』は、(剣の名人という)「意地」は保ちつつも、<自己完成のための殺人>を全否定する作品であった。1990年代に大ベストセラーとなった秋月伸宏の『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』(1994-1998)もやはりまた、「殺人剣」を全否定している作品である。
『ろろうに剣心』は、『週刊少年ジャンプ』(集英社)誌上において1994年19号から1999年43号まで連載され、単行本はジャンプ・コミックスより全28巻が、また後に完全版が全22巻で刊行された。全28巻の売り上げは4700万〜 5000万部を記録しているヒット作で、海外でも高い支持を受けている。明治維新のために不本意ながら自分を押し殺して人を斬り続け、「人斬り抜刀斎」として恐れられた伝説の剣客緋村剣心がある出来事から「不殺(ころさず)」を誓い、恋人の神谷薫との出会いや、同じ激動の時代を生き抜いた宿敵たちとの戦いを通じて、新たな時代での生き方を模索していく、というストーリーである。
緋村剣心は(元)下級武士という設定であるが、この作品のテーマは、「武士道」というよりも「侠気」(「任侠」)と言った方が適切である。
困っている奴や/訳ありの奴を見ると/力にならずにいられない/流浪人(るろうに)としての性分さ//剣はめっぽう/強いくせして/人には滅法弱いだろ/あいつ//女 子供には/特に(完全版、第2巻、2006年)
“人殺しの/罪は死罰を/以(も)って”//それも一つの/償い方だが//己が死んだ所で/殺した人が/蘇る訳では/ござらん//それよりも/より一人でも/多くのために/剣を振るう事が//本当の/意味での/償いとなる/はず//“人斬り抜刀齋”は/そうやって/明治(いま)を生きて/いるでござるよ(完全版、第4巻、2006年)
時代の大きな流れは、「意地の美学」は保ちながらも、近代日本が生んだ「自己完成のための殺人」を繰り返す「不毛な人格美学」から、「弱きを助け、強きを挫く」<侠気>へと移行しつつあるように思われる。
<謝辞>本稿を、草稿段階で東京大学の島薗進氏に読んでいただき、貴重なアドバイスを賜った。記して深く感謝したい。
<註>
(1)中井は、強者は「意地を張る」のではなく、本来は「粋」に振る舞うべきだとしている。「粋」は、古くに九鬼修造が論じているように、「意地」が霊化されたものである。
(2)井上雄彦は、『バガボンド』を2010年度中に完結させることを予告している。吉川武蔵と『バガボンド』の本格的な比較研究は、『バガボンド』の完結を待たねばならない。
(3)疋田文五郎は、『バガボンド』にも1コマだけ登場する。
<参考文献>
秋月伸宏『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』1-28、集英社、1994年-1999年(完全版1-22、2006年-2007年)
井上雄彦『バガボンド』1-32(続刊中)、講談社、1999年-(続刊中)
岩明均『雪の峠・剣の舞』講談社、2001年
神渡良平『安岡正篤の世界-先賢の風を慕う-』同信社、1991年
櫻井良樹『宮本武蔵の読まれ方』吉川弘文館、2003年
佐竹・中井(編)『「意地」の心理』創元社、1987年
佐藤忠男『日本映画と日本文化』未来社、1987年
佐藤忠男『意地の美学-時代劇映画大全-』じゃこめてい出版、2009年
縄田一男『「宮本武蔵」とは何か』角川ソフィア文庫、2009年(初出2002年)
西久保瑞穂(監督)『宮本武蔵-双剣に馳せる夢-』(DVD)、ポニーキャニオン、2010年
水野・櫻井・長谷川(編)『「宮本武蔵」は生きつづけるか-現代世界と日本的修養-』文眞堂、2001年
松本昭『人間 吉川英治』学陽書房、2000年(初出1982年)
安岡正篤『日本武道と宮本武蔵』金鶏学院、1931年