小説『人間失格』における宗教心理の一考察

愛知学院大学文学部紀要』39号原稿(2010年3月刊行)


<題名>「小説『人間失格』における宗教心理の一考察」
<著者>熊田一雄(宗教文化学科准教授)
<Title>“A Religious and Psychological Study of the Novel‘Ningen Shikkaku’”
<Author>Kazuo KUMATA (Department of Religious Culture)


<要旨>
 本稿の目的は、近代日本文学のキャノンのひとつである太宰治の小説『人間失格』(1948)を宗教心理研究の観点から分析し、作品における「自己=神/世界=悪」という世界観が、世界に対する「基本的信頼感」(エリクソン)をもっていなかった太宰が、「他者による承認」も、「超越者による承認」も否定した結果であることを、中期の小説『待つ』(1942)を手がかりとして論じることにある。そして、小説『人間失格』の現代日本における根強い人気の社会的背景として、社会における「いじめ」の蔓延と、近代家族の「父親不在/母親過剰」でかつ「閉ざされている」という特徴とを指摘する。


<キーワード>
人間失格』/基本的信頼感/他者による承認/超越者による承認/いじめと近代家族


―(生まれて、すみません)(太宰治『二十世紀旗手』初出1937年、エピグラフ
―他の点ではすべて健康で可愛らしく感情も豊かでありながら、しかし「僕(わたし) I」と言うことを学びそこねた子どもがいる。そうした子どもたちと一緒にいると、「僕(わたし)」という共通の宝物がいかに貴重であるか、それが成立するためにはいかに母親的な認識によって肯定される必要があるか、よくわかるはずである。すべての宗教の基本的課題のひとつは<この最初の関係の再承認>である(エリクソン2002(原文1958);p.182)。


1.太宰治キリスト教
 作家・太宰治(1909-1948)とキリスト教の関係については、近年研究が進展しており、太宰は、聖書を真剣に読み込んではいたが、基本的には聖書を福音ではなく律法としてしか理解できなかったことが指摘されている(ex.長部2005)。

 太宰は、聖書をつねに律法的に受けとろうとした。「福音」(熊田註;原文強調体)をすら、律法的に聞こうとしたのである(中略)
 聖書を律法的に受けとろうとしればするほど、私たちは、それを行いえない自己の弱さとみじめさに目ざめざるをえないであろう。しかしその場合、そ のみじめさは、ただみじめさで終わるのではなくて、律法の前で正しき者でありえない自己として自らが自覚されてくる。それが罪への目ざめなのであ  る。太宰はそういう苦しみを自らの中に苦悩として深めた人であった(佐古1958;pp.100-102)。

 (神の罰は信じられても、神の愛は信じられない、すなわち「神の義」を信じられない・・・・・・)、そこに彼の限界があった。ただ彼は、自己のその限界 を完全に「あらわし切って」(熊田註;原文強調体)死んだのである(菊田1961;p.101)。

 その後、近年の研究によって、太宰は生涯の一時期には聖書を福音として受容していたことが指摘されている(ex.佐古1992、田中2004)。しかし、太宰が最終的にはキリスト教の「神の義」を信じることができなかったことには変わりない。

「信仰。それは、ただ神の笞を受けるために、うなだれて審判の台に向ふ事のやうな気がしてゐるのでした。」それがほんとうの人間の声というものではないだろうか。「神の愛は信じられず、神の罰だけを信じてゐるのでした。」(同上)福田恆存氏がこのことをつぎのように解説したことがある。「太宰治は自己を責める『神』は発見したが、自己を許す『神』は発見しなかったのだ。そしてこのことは現代日本の知識階級にとって、いまなほ解決しえぬ最も根本的な課題なのである。おそらくわれわれはこの太宰治のつまづきから出発しなければならぬであらう。」きわめて的確な問題の指摘だと思う(佐古1958;p.127)。

 本稿の目的は、太宰が最後に小説『人間失格』(初出1948)で示した「自己=神/世界=悪」という宗教的世界観を宗教心理研究の観点から考察することにある。


2.小説『人間失格』と「基本的信頼感」の欠落
 太宰の精神的自伝としての側面がある『人間失格』から、「神」について語った文章と「父」について語った文章を抜き出すと、それらがしばしば重なり合っており、太宰が世界に対する「基本的信頼感」(エリクソン)をもてなかったことがわかる。

何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐は、きっとおそるべきものに違いない、(太宰治人間失格」『斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス外七編』文春文庫、2000年(初出1948年);p.191)

「うん、そう。(熊田註;神様は)シゲちゃんには何でも下さるだろうけれども、お父ちゃん(熊田註;主人公の葉蔵)には、駄目かもしれない。」
 自分は神にさえおびえていました。神の愛は信じられず、神の罰だけを信じているのでした。信仰。それは、ただ神の鞭を受けるために、うなだれて審判の台に向かうことのような気がしているのでした。地獄は信じられても、天国の存在は、どうしても信じられなかったのです。
「どうして、ダメなの?」
「親の言いつけにそむいたから。」
「そう?お父ちゃんはとてもいい人だってみんな言うけどな。」(同上;pp.258-259)

 地獄。
 この地獄からのがれるための最後の手段、これが失敗したら、あとはもう首をくくるばかりだ、という神の存在を賭けるほどの決意をもって、自分は故郷の父あてに長い手紙を書いて、自分の事情一さいを(女のことは、さすがに書けませんでしたが)告白することにしました。
 しかし、結果は一そう悪く、待てど暮らせど何の返事もなく、自分はその焦燥と不安のために、かえって薬の量をふやしてしまいました(同上;p.299)。

 父が死んだことを知ってから、自分はいよいよ腑抜けたようになりました。父が、もういない。自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐かしく恐ろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がからっぽになったような気がしました。自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではないだろうかとさえ思えました。まるで、張り合いが抜けました。苦悩する能力をさえ失いました(同上;p.302)。

「あのひとのお父さんが悪いのですよ。」
何気なさそうに、そう言った。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、・・・・・・神様みたいないい子でした。」(同上;p.307)

 太宰の実父は、1923年太宰が14歳の時に52歳で死去しており、『人間失格』に登場する主人公の父親像は、現実からはずいぶんデフォルメされていると思われる。それでは、太宰の実父および実母との関係はどのようなものだったのだろうか。以下の文章は、太宰の自伝「思ひ出」からの引用である。

 私の父は非常に忙しい人で、うちにいることがあまりなかった。うちにいても子供らと一緒には居らなかった。私はこの父を恐れていた。父の万年筆をほしがっていながらそれを言い出せないで、ひとり色々と思い悩んだ末、ある晩に床の中で眼をつぶったまま寝言のふりをして、まんねんひつ、まんねんひつ、と隣部屋で客と対談中の父へ低く呼びかけた事があったけれど、勿論それは父の耳にも心にもはいらなかったらしい。私と弟とが米俵のぎっしり積まれたひろい米蔵に入って面白く遊んでいると、父が入り口に立ちはだかって、坊主、出ろ、出ろ、と叱った。光を脊から受けているので父の大きい姿がまっくろに見えた。私は、あの時の恐怖を惟うと今でもいやな気がする。
 母に対しても私は親しめなかった。乳母の乳で育って叔母の懐で大きくなった私は、小学校の二三年の時まで母を知らなかったのである(太宰1995(初出1933);p.14)。

 もちろん、自伝だからといって事実を書いているとは限らない。しかし、太宰が、父との関係が希薄でなおかつ父を恐れていた、その上実母の愛情は知らなかった、ということは確かだろう。太宰は、心理学者エリクソンの言う、世界に対する「基本的信頼感」をもてなかった小説家だったのだと思われる。


3.小説『待つ』と「超越者による承認」
 太宰の中期の短編に、『待つ』(執筆1942年)がある。当時の太宰は、キリスト教に強い関心を寄せていた。

私は愛といふ単一神を信じたく内心つとめてゐた(太宰治『満願』初出1938年)

私を忘れないでくださいませ。毎日、毎日、駅へお迎へに行つては、むなしく家へ帰って来る二十の娘を笑はずに、どうか覚えて置いて下さいませ。その小さい駅の名は、わざとお教え申しません。お教へせずとも、あなたは、いつか私を見掛ける(太宰治『待つ』執筆1942年)。

 この小説『待つ』については、従来は、「何を待っていたのか」が論じられてきたが、近年では、「待つという姿勢」そのものが論じられるようになっている。

 「待つ」(昭和十七・六)には、そうした微妙な自己放棄のありようを見いだすことができる。従来は、<待つ>対象を詮索することに議論の中心があったが、いまはその姿勢そのものへと視線を移してみたいのである(安藤2009;p.75)。

 小説『待つ』について鷲田清一は、主人公が「他者による承認」を拒否していることを指摘している。

 ところが太宰の主人公は、特定のだれかに見つめられたくはないと言う。みずからの存在について、だれかの承認を得るということが、ふつうは、ひとが「わたし」でいられる最終的な証拠となるはずなのに、そのことじたいを彼女は拒絶している。とすれば、だれかに憶えておいておいてほしいこの「わたし」、だれかに見掛けてほしいこの「わたし」とはいったいだれなのか(鷲田2006;p.37)。

 世界に対する「基本的信頼感」をもてなかった太宰は、『待つ』を書いた段階では、「他者による承認」を拒絶して、「超越者による承認」を「待つ」状態だったと言えるだろう。


4.『人間失格』と日本的グノーシス主義
 『人間失格』に見られるような「自己=神/世界=悪」という宗教的世界観は、「自己=罪/神=愛」というキリスト教的世界観とは、ある意味では正反対のものである。この「自己=神/世界=悪」という宗教的世界観には、島薗進が論じるように、古代ヘレニズムのグノーシス主義の現代版としての側面がある(島薗2007)。次の文章は、『人間失格』のラストの部分である。「他者による承認」に加えて「超越者による承認」も拒絶したからには、「神様みたいないい子」と、「自己承認」するしかなかったのだと思われる。

「あのひとのお父さんが悪いのですよ。」
 何気なさそうに、そう言った。
 「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、・・・・・・神様みたいないい子でした。」(太宰治、同上;p.307)

 太宰治『直筆で読む「人間失格」』(集英社新書ヴィジュアル版)、2008年によれば、この箇所は、最初は「みな、あの人のお父さんが悪いのですよ。」とあったのが、最終稿では「みな」が削除されている(同書;p.430)。「みな」を入れてしまうと、小説が「父と相容れなかった子の悲劇」に還元されてしまうから、削除したのだろう。「神様」は、草稿では当初「神様」とされ、それを抹消して「天使」としてあるそうである。「天使」だと、キリスト教の宗教的世界観が前提とされてしまうので、最終的には「神様」としたのだろう。太宰は、最後にはキリスト教的な神の観念は放棄していたのだろう。
 
 「自分の考えは、今フランスで言われている実存主義に近い」「文学者が追求すべきものはセントだ」(「インタビュー 小野才八郎」『文芸別冊 太宰治河出書房新社、2009年;p.53)

 太宰のこうした発言は、晩年の太宰が、キリスト教に代わる宗教的世界観を模索していたことを示している(1)。
 キリスト教が「神の愛/人間の罪」を対照させるのに対して、古代ヘレニズムのグノーシス主義は、「創造神の悪/人間の神性」を対照させているという側面がある。日本人は、ユダヤ教キリスト教イスラーム的な「創造主である唯一神」の概念は一般に共有せず、近代以降は、唯一神というと、普通神道的な「(宇宙)親神」をイメージする。「創り主」のイメージがないので、古代ヘレニズムのグノーシス主義とは違って、「邪悪な創造神」と対照される「善なる至高神」のイメージまではもたないのだろう。小説「人間失格」は、世界に対する「基本的信頼感」を欠落させた人間にとっての、日本的なグノーシス主義の心象風景を描いた作品、と見ることもできる。


5.『人間失格』の現代的受容
 小説『人間失格』は、2009年までに600万部以上売り上げた(KAWADE夢ムック、2009)という、近代日本文学におけるキャノンであり、今もなお、若者を中心に根強い人気がある。『人間失格』の現代的受容について、長部は次のように語っている。

 (前略)普通は、『人間失格』から読み始める人が多くて、今でも一番読む人が多いわけです。聞いてみると「本当にこれで救われた気がした」という。つまり、自分より弱くて自分より不器用な奴がいて、それが最後には、写真でいえば、それまで全部ネガみたいだったものが、「神様みたいないい子」という最後の一言で、一遍にネガがポジに変わる。これで救われた気分になる人が随分いるわけです。
 もうひとつ、若い人はホラーが大好きですが、これが僕は苦手なんです。そこで『人間失格』をホラー、恐怖小説だとして読んでみたら、実によくできている。『人間失格』は、自分という主人公を除いて、まるで出てくる人が悪い人、恐い人ばっかりでしょう。僕はずっと長いこと、自分一人が被害者で周りが全部加害者っていうのは随分被害者意識が強すぎるんじゃないかと思っていたけど、今いじめに遭っている子どもってまさにそうですよね。自分一人が被害者で周りは全部加害者です。周りの子は自分のことを加害者だとおもっていない。しかしながら実際にいじめをやっている奴だけじゃなくて、それを黙って黙認している人たちというのも被害者にとっては全部加害者ですよ。だから自分一人が被害者で周りは全部加害者っていうのは、今、現実に生じてきているんですよね。皆人間がそれぞれ孤立して繋がりを失って砂漠化した現代においては、ああいった『人間失格』の状況というのはありうるわけですよね。予言していたんです(「インタビュー 長部日出雄」『文芸別冊 太宰治河出書房新社、2009年;pp.14-15)。

 次の文章は、小説『人間失格』のネット上のあるファン・サイトからの引用であるが、長部の分析を裏付けているように思われる。

「僕も最初は自分と葉蔵を重ねて読みました。
自分も葉蔵と同じ「人間失格者」なのかなと思い、何ともいえない気分になったのを覚えています。
しかし何度も読むうちに、親と相容れないことや、女性とうまく付き合っていけないこと、酒とタバコに溺れるというのはある意味、本当の人間らしさなんじゃないかな?と思うようになったんです。
だから、今の僕は葉蔵に向かって「人間失格」だとはとても言えません。
最後にマダムが「神様のような子」と言ったことで、葉蔵に光が当たり、僕自身もとても救われた気分になりました。
そして『人間失格』は太宰から僕たちに向けられた「お前は葉蔵を「人間失格」と呼べるほどよくできた人間なのか?」というメッセージのような気がするのです。」


6.いじめの蔓延と近代家族
 それでは、第3節で見たような、「自己=神/世界=悪」という宗教的世界観は、なぜ現代日本の若者にアピールするのだろうか。その社会的背景として、長部が指摘するように、いじめが若者の間で蔓延していることと、「父親不在/母親過剰」である「閉ざされた近代家族」(イラ姫・信田2001)が増加したことが挙げられる。
 太宰治は、青森の大富豪である地主の家の6男坊(兄ふたりは若死にしているので、実質的には4男坊)として生まれた。大勢の使用人に囲まれて一見大家族のようであるが、太宰家の人間と使用人の間には決定的な身分差があり、現実には太宰家は、使用人に囲まれながらも外部社会から「閉ざされた」家族であった。
 「父親不在/母親過剰」とも特徴づけられる現代日本の近代家族と太宰家を比較すると、父親との関係が希薄であることが共通している。事実上「母親不在」であった太宰家と「母親過剰」の近代家族は、一見正反対のようである。しかし、近代家族における「過剰な母」は、自分の期待に応える限りにおいて子どもを愛するという「条件付きの愛」をちらつかせる傾向があるという点で、「無条件の愛」を恵む母親はやはり「不在」という側面があるのだろう。
「父親不在/母親過剰」な上に、外部社会に対して「閉ざされた」近代家族の中で育ち、学校では、被害者という形であれ加害者という形であれ、「いじめ」にさらされている現代日本の若者にとって、小説『人間失格』が描くような、「自己=神/世界=悪」という宗教的世界観は、依然としてアピールすることが多いのだと思われる。
 もちろん、太宰治の小説『人間失格』が現代日本の若者に対してもつ魅力は、「自己=神/世界=悪」という宗教的世界観以外にも、数多くあるだろう。ある人は生まれもっての発達障害に、ある人は幼少期の性的虐待のトラウマに、ある人は非合法共産主義運動からの脱落に、ある人は女を殺して自分だけ生き残った後ろめたさに・・・と各人各様に読んでいるのだろう(2)。しかし、「自己=神/世界=悪」という宗教的世界観の問題も、考慮に値する重要な問題だと思われる。


<註>
(1)20世紀の作家で、キリスト教グノーシス主義の間を揺れ動いたという点で日本の太宰治に似ているのは、アメリカのSF作家フィリップ・K・ディック(1928-1982)ではないか。ふたりとも、薬物中毒に陥り、いったんはそこからキリスト教信仰によって立ち直るものの、最後には、やはりキリスト教を信じることができずに、グノーシス主義―太宰の場合は、「実存主義」と自己認識していた―に傾斜していったという点が共通している。
(2)宮地尚子は、太宰治が下男下女によって幼少期から受け続けた性虐待のトラウマと太宰文学との関係を論じた論文が皆無であることを指摘している(リチャード・B.ガートナー『少年への性的虐待―男性被害者の心的外傷と精神分析治療』作品社、2005年、訳者あとがき)。


<謝辞>
 本稿を、草稿の段階で島薗進氏と根本和子氏に読んでいただき、貴重なアドヴァイスを賜った。記して深く感謝したい。


<参考文献>
安藤宏(編著)『展望 太宰治』ぎょうせい、2009年
イラ姫信田さよ子『マンガ・子ども虐待出口あり』講談社、2001年
E・H・エリクソン『青年ルター1』みすず書房、2002年(原文1958年)
長部日出雄『桜桃とキリスト−もうひとつの太宰治伝』文春文庫、2005年
KAWADE夢ムック『文芸別冊 太宰治−100年目のグッド・バイ』河出書房新社、2009年
リチャード・B.ガートナー『少年への性的虐待―男性被害者の心的外傷と精神分析治療』作品社、2005年(原文1999年)
菊田義孝『太宰治と罪の問題』修道社、1961年
佐古純一郎『太宰治におけるデカダンスの倫理』現代文芸社、1958年
佐古純一郎『太宰治の文學』朝文社、1992年
島薗進スピリチュアリティの興隆−新霊性文化とその周辺』岩波書店、2007年
太宰治「思ひ出」『作家の自伝36 太宰治日本図書センター、1995年(初出1933年)
太宰治「満願」『太宰治全集3』筑摩書房、1998年(初出1938年)
太宰治「待つ」『太宰治全集6』筑摩書房、1998年(執筆1942年)
太宰治人間失格」『斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス外七編』文春文庫、2000年(初出1948年)
太宰治 『直筆で読む「人間失格」』集英社新書ヴィジュアル版、2008年
田中良彦『太宰治と「聖書知識」』朝文社:新装版、2004年 (旧版1994年)
鷲田清一『「待つ」ということ』角川選書、2006年