太宰治または「一度半生まれ」の悲劇

ー「生れて、すみません」(太宰治『二十世紀旗手』初出1937年)
ー「私は愛という単一神を信じたく内心つとめていた」(太宰治『満願』初出1938年)
 生まれて間もない時期が、その人の基本的信頼感の形成に重要な時期とするエリクソンの理論がある。ただ、この時期でうまくいかなくても、後の人生の中で挽回できるとのことである。神谷美恵子氏の著書「こころの旅」(日本評論社)25Pには、ウィリアム・ジェイムスの「宗教的経験の諸相」とエリクソンの理論をあげ、・・・乳幼時期に右の「基本的信頼感」を身につけることができなかった人は「二度生まれ」の人種になるという。「二度生まれ」の人とは一回出生しただけではこの世の生活にしっくりせず、もう一度精神的に生まれなおさなくてはならないひとであって、宗教とはこうした人たちの必要にこたえるのではないか、とエリクソンは考える・・と記している。
 神谷美恵子のこの議論は、まさに太宰治(1909-1948)のケースにぴったり当てはまるのではないか。実母の愛を知らず、実父との関係も疎遠だった太宰は、乳幼児期には「基本的信頼感」を獲得できなかったのだろう。そして、27才の時に薬物中毒のために入院させられた精神病院で出会ったキリスト教の聖書によって、一度は「二度生まれ」の人種となり、我流に理解したキリスト教信仰をもちながら、研究者が「中期の作品」と呼ぶ傑作群をものにしたのであろう。しかし、敗戦後は、太宰の言う「愛という単一神」を再び信じられなくなり、太宰が「フランスの実存主義に近い」と表明した「自己=神/世界=悪」というグノーシスもどきの宗教文化へと回帰していったのだろう。あるいは、小説『人間失格』のラストで、バーのマダムに言わせた「(主人公は)神様みたいにいい子でした。」という表現は、乳幼児期に獲得できなかった「基本的信頼感」を、キリスト教信仰なしになんとか取り戻そうとする「自己聖化」の試みだったのかもしれない。その意味で、小説『人間失格』は、「二度生まれ」に失敗した人間の悲劇(悲喜劇)とも言えるだろう。「一度生まれ/二度生まれ」というウィリアム・ジェイムズの回心論における二分法を脱構築して応用すれば、太宰は「一度半生まれ」の人だった、といえるかもしれない。
 「こうした基本的信頼感が乳児期の早いうちに発達しないとき・・・・・・子どもは精神的に死んでしまう。彼らは応答もせず学習もせず、食事も吸収もせず感染に対して自己防衛もできず、しばしば肉体的にも死んでしまう。」