「待つ」という宗教心理ー疑いと信仰の間

 年代順に配列しました。超越者を「待つ」状態とは、「半信半疑だが、できれば信じたい」、W・ジェイムズの古典的表現を借りれば「潜在意識的自己」(W・ジェイムズ『宗教的経験の諸相(下)』岩波文庫、1970年(原文1901ー1902年)、p.376)の水準では信じている、という宗教心理のことでしょう。

ー(生まれて、すみません)(太宰治『二十世紀旗手』初出1937年、エピグラフ

ー私は愛といふ単一神を信じたく内心つとめてゐた(太宰治『満願』初出1938年)

ー私を忘れないでくださいませ。毎日、毎日、駅へお迎へに行つては、むなしく家へ帰って来る二十の娘を笑はずに、どうか覚えて置いて下さいませ。その小さい駅の名は、わざとお教え申しません。お教へせずとも、あなたは、いつか私を見掛ける(太宰治『待つ』執筆1942年)。

ー他の点ではすべて健康で可愛らしく感情も豊かでありながら、しかし「僕(わたし) I」と言うことを学びそこねた子どもがいる。そうした子どもたちと一緒にいると、「僕(わたし)」という共通の宝物がいかに貴重であるか、それが成立するためにはいかに母親的な認識によって肯定される必要があるか、よくわかるはずである。すべての宗教の基本的課題のひとつは<この最初の関係の再承認>である(E・H・エリクソン「青年ルター1」みすず書房、2002年(原文1958年)、p.182)。

ー二人の浮浪者の話。自殺したがっている浮浪者の訴えを聞いて、仲間の浮浪者がすっかり同情してしまう。どこかで手に入れた残り物のウイスキーで酒盛りをする。二人で適当な死に場所を探して歩く。やっと某所でいい枝振りの松をみつける。自殺志願の浮浪者が首をくくるのを、仲間が親切に手伝ってやる。自殺者が発見されたとき、その仲間は近くの石に腰をおろして泣いていた。警官の尋問に対して、男はただ「待っていた」とだけ答えた。「何を待っていたのか」と聞かれても、それに答えることはできなかった(安部公房「笑う月」新潮文庫1984年(初出1975年)、pp.34-35)。

ーエレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
 エレーン その答を誰もが知っているから 誰も問えない
 (中島みゆき『エレーン』1980年、アルバム「生きていてもいいですか」所収)