恐ろしい父/神様みたいないい子

*「人間失格」関連のネット掲示板の書き込み


「僕も最初は自分と葉蔵を重ねて読みました。
自分も葉蔵と同じ「人間失格者」なのかなと思い、何ともいえない気分になったのを覚えています。
しかし何度も読むうちに、親と相容れないことや、女性とうまく付き合っていけないこと、酒とタバコに溺れるというのはある意味、本当の人間らしさなんじゃないかな?と思うようになったんです。
だから、今の僕は葉蔵に向かって「人間失格」だとはとても言えません。
最後にマダムが「神様のような子」と言ったことで、葉蔵に光が当たり、僕自身もとても救われた気分になりました。
そして『人間失格』は太宰から僕たちに向けられた「お前は葉蔵を「人間失格」と呼べるほどよくできた人間なのか?」というメッセージのような気がするのです。」


問題の「神様みたいないい子」は、小説のラストの次の部分に出てきます。


 「あのひとのお父さんが悪いのですよ。」
 何気なさそうに、そう言った。
 「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、・・・・・・神様み
 たいないい子でした。」(太宰治人間失格」『斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス外七編』文春文庫、2000年(初出1948年);p.307)


 太宰治「直筆で読む『人間失格』」集英社新書ヴィジュアル版、2008年によれば、この箇所は、最初は「みな、あの人のお父さんが悪いのですよ。」とあったのが、最終稿では「みな」が削除されています(同書、p.430)。「みな」を入れてしまうと、小説が「父と相容れなかった子の悲劇」としか読めなくなるから、削除したのでしょう。「神様」は、草稿では当初「神様」とされ、それを抹消して「天使」としてあるそうです。「天使」だと、キリスト教の宗教的世界観が前提とされてしまうので、最終的には「神様」としたのでしょう。太宰は、最後にはキリスト教的な愛の神の観念を放棄したのでしょう。