太宰治の父子関係(1)

  何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐は、きっとおそるべきものに違いない、(太宰治人間失格」『斜陽・人間失格
 桜桃・走れメロス外七編』文春文庫、2000年(初出1948年);p191)

 
 「うん、そう。(熊田註;神様は)シゲちゃんには何でも下さるだろうけれども、お父ちゃん(熊田註;主人公の葉蔵)には、駄目
 かもしれない。」
  自分は神にさえおびえていました。神の愛は信じられず、神の罰だけを信じているのでした。信仰。それは、ただ神の鞭を受け
 るために、うなだれて審判の台に向かうことのような気がしているのでした。地獄は信じられても、天国の存在は、どうしても信
 じられなかったのです。
 「どうして、ダメなの?」
 「親の言いつけにそむいたから。」
 「そう?お父ちゃんはとてもいい人だってみんな言うけどな。」
 (同上;pp.258-259)。


 地獄。
  この地獄からのがれるための最後の手段、これが失敗したら、あとはもう首をくくるばかりだ、という神の存在を賭けるほどの決
 意をもって、自分は故郷の父あてに長い手紙を書いて、自分の事情一さいを(女のことは、さすがに書けませんでしたが)告白す
 ることにしました。
  しかし、結果は一そう悪く、待てど暮らせど何の返事もなく、自分はその焦燥と不安のために、かえって薬の量をふやしてしま
 いました(同上;p299)。



  父が死んだことを知ってから、自分はいよいよ腑抜けたようになりました。父が、もういない。自分の胸中から一刻も離れなかっ
 たあの懐かしく恐ろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がからっぽになったような気がしました。自分の苦悩の壺がやけに
 重かったのも、あの父のせいだったのではないだろうかとさえ思えました。まるで、張り合いが抜けました。苦悩する能力をさえ
 失いました(同上;p302)。



 「あのひとのお父さんが悪いのですよ。」
 何気なさそうに、そう言った。
 「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、・・・・・・神様み
 たいないい子でした。」(同上;p307)


 太宰治(1909-1948)の、おそらく不幸だった父子関係を調べてみる必要があるようです。「本州の北端で生れた気の弱い男の子が、それでも、人の手本にならなければならぬと気取つて、さうして、躓いて、躓いて、けれども、生きて在る限りは、一すぢの誇りを持つてゐようと馬鹿な苦労をしてゐるその事を、いちいち書きしたためて残して置かうといふのが、私の仕事の全部のテエマであります」(太宰治富嶽百景』(初出1943)の序文)