太宰治にとっての聖書
戦闘、開始。(太宰治『斜陽』より)
(中略)
文意はもはやおのずからに明らかであろう―「イエスのこの教えをそっくりそのまま」と言う時、これらの一語一句の示す語義の本髄が吟味されているわけではない。ただ一切の古き倫理と慣習を変革し、自らの十字架の苦難に殉ずる、革命的な戦闘への梃子として引かれているにすぎない。恐らく眼目はその最後の部分にある。自らの情念のためには敢えて「身と霊魂をゲヘナにて滅し得る者」(熊田註;新約聖書の引用、神のこと)でありたいという時、神の座を簒奪して、自らの生の燃焼のためにすべては許されてあるという、不敵な人間宣言が声高になされ、もはや聖書は、その作中の主想をなぞり、その主題に仕えるものとして用いられているにすぎぬ(佐藤泰正「文学と宗教の間」創文社、1968年、p.233)。