「民衆宗教」と性教育

 そうした(熊田註;現代の)子どもたちと向き合う機会の多い、ある(熊田註;天理教の)教会長は「女の子のほうが損をするよ」と話すそうである。援助交際についても「多くの場合、暴力団が絡んでいるから、拉致や暴行など危ない目に遭うことが多いんだよ」と具体的に語りかける。善い悪いといった価値や倫理で説得するより、具体的に「危ない」「怖い」という情報を提示することが、コミュニケーションの糸口になるという(天理やまと文化会議(編)『道と社会ー現代“事情”を思案するー』天理教道友社、p121)。


*確かに、「コミュニケーションの糸口」としては、「危ない」「怖い」という情報を提示することが有効かもしれません。しかしこうした「損をする」という功利主義的な判断だけでは、「危ない」「怖い」可能性が全くないと判断された援助交際は否定できません。援助交際の背後にある「人に迷惑をかけなければ、自分のからだをどう扱おうと自分の勝手」という「身体の自己決定論」に対抗して、「からだは(神様からの)かりもの、心一つわがもの」という天理教の「かしもの・かりもの」の教理、宗教的な身体観を持ち出すべきではないでしょうか?


 天理教は、今日の日本社会に欠けているものを、違う形でたくさん持っている。そういうものをアピールしていくことが大切だろう。決して自慢するというのではなく、いいところを提案するということが、あってもいいのではないだろうか(同上、p195)。