精神科医の宗教観の偏り

    患者が宗教に救いを求めることがある。宗教で救われないとは私は言わない。そういう場合は、精神科医の前から消え去るだろうからである。したがって、宗教に救いを求めつつ救われない患者しか見ていない偏りはあるかもしれないのだが、患者が宗教の他力的な側面に救いを求めたと言う例は思い出せない。逆に、自力的な宗教の、いやが上にも自力的な側面に吸い込み穴へのように吸いつけられてゆくという例ばかりが記憶にある(中井久夫「精神的苦悩を宗教は救済しうるか」『世に棲む患者』ちくま学芸文庫、2011年(原文1989年)、p318)。


*「宗教に救いを求めつつ救われない患者しか見ていない偏り」があるのだと思います。宗教学者の観察では、宗教の他力的な側面に救いを求めて救われている例も多数あります。中井久夫さんご自身が、晩年はカトリックに入信なさいました。