オウム真理教と投影的同一視
(前略)しかし、内面化という洗練された防衛機制を持ち出せるものが境界例のような行動化や投影的同一視と言うプリミティブな機制に訴えるはずがなかろう。投影的同一視とは、簡単に言えば、自分が腹を立てると相手が怒っているように認知すると言うことである。誰でも多少はこれを使っていないわけではないが(特に家庭内あるいは政治的に)、これが主となると、これは現実を全く反映しない対人認知であるから、恒久的人間関係を結ことが原理的にできない。それは相手のせいでも誰のせいでもない(中井久夫「説き語り「境界例」」『世に棲む患者』ちくま学芸文庫、2011年(原文1984年)、pp.169-170)。
*特に衆議院選挙敗北後のオウム真理教の「内閉化」にぴったり当てはまるように思います。まともな新宗教では、「向かい合う人の心は鏡なり」と説いて、投影的同一視を戒めているのですが。