神経症と非行

 しかし神経症と非行とは、精神科医が思っているほどは離れたものではなさそうです。成績がよいとか、家庭が精神科医と同じ程度の階層に属していると、神経症あるいは境界例の行動化、そうでないと非行というようにとらえられやすい。本来は神経症と非行は同じレベルに並ぶものではないわけです。精神科医の文化から遠いほど気をつけなければならない。これは精神病でも同じことで、農漁村の口の重い患者は実際よりも重症に、都会の弁の立つ患者は実際より軽症にみられがちではないでしょうか(中井久夫「思春期における精神病と類似状態」『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫、2011年(初出1979年)、pp.26-27)。


*たとえば、同じバイクの窃盗でも、普通の学生がやると「非行」と解釈されますが、尾崎豊がやると「境界例の行動化」と解釈されるのでしょう。