境界例と投影的同一視

 患者が非常に内面的な人間に見えてしまうことがある。なぜだろうか。フロイトは、自己愛的な人間の魅力について語り、そうした人の周りになんとかしてあげたいと思う人が集まるといっている。境界例は、たしかに自己愛的かもしれないが、それほど内面的な人間ではない。治療者が内面的な人間を高く買うことを察知してそう行動している場合はあるだろう。しかし、内面化という洗練された防衛機制を持ち出せるものが境界例のような行動化や投影的同一視のようなプリミティヴな機制に訴えるはずがなかろう。投影的同一視とは、簡単に言えば、自分が腹を立てると相手が怒っているように認知するということである。誰でも多少はこれを使っていないわけではないが(特に家庭内あるいは政治的に)、これが主となると、これは現実を全く反映しない対人認知であるから、恒久的人間関係を結ぶことが原理的にできない。それは相手のせいでも誰のせいでもない(中井久夫「説き語り「境界例」」『世に棲む患者』ちくま学芸文庫、2011年(初出1984年)、pp.169-170)。


*かつてのオウム真理教の外部社会との対立が連想されます。そういえば、元エリート医師の元幹部、林郁夫氏は、教祖の麻原を自己愛性パーソナリティ障害だと非難していました。