依存症と「きっちりしすぎる」性格

筆者(笠原嘉)もまた、現代が強迫パーソナリティの時代だという認識を本書の筆者(サルズマン)と同じくしている。今日の日本の青少年の神経症的登校拒否、やせ症、ヤング・アダルトのアパシー的退却症、そして実直な中年者の軽症うつ病、ときにはアルコール症の人の中にさえも強迫パーソナリティ(「自分の気がすむ」ための几帳面さと完全主義、「きっちりしすぎる」性格ー熊田注)がきわめて高頻度にみられる。右の病気をなおせるかどうかは、したがってその共通分母ともいうべき強迫パーソナリティの治療の可能性にかかっている、とまで思っているほどである(笠原嘉「訳者あとがき」L.サルズマン『(新装版)強迫パーソナリティ』みすず書房、1998年(原著1973年)、pp.331-332)。


*依存症の一部(もちろん全部ではない)の背後にも、しばしば強迫パーソナリティがあるのでしょう。摂食障害者の自助グループNABAでは、「いい加減に生きよう」を標語にしているし、薬物依存症の患者の自助グループでも、「気楽にやろう。深刻になりすぎるな」というそうです。断酒会でも、「完全主義者は身を滅ぼす」という言い方があります。


   多くのアルコール依存症の患者は、社会的ルールや倫理にむとんちゃくな人ではなく、道徳を過敏に意識する、いわば「超自我」が重すぎる人である。筆者はアルコール依存症をはじめとする物質依存の人に風景画を描いてもらったところ、風景のなかの人物がひとり残らず「一生懸命働いている人」であるのに、「なるほど」とうなったことがある(中井久夫+山口直彦『看護のための精神医学    第二版』医学書院、2004年、p268)。