オウム真理教事件と現代的な競争社会

(前略)他者を出し抜き成功者になるために競い合う社会では、愛も平等心もないだろう。そんな世の中で「他者のいない一人ぼっちの安らぎと喜び」を求める人は、おそらく多かったと思われる。だから信者は「聖無頓着」を教義としていたのかもしれない。疲れきった状態であった中で、一人ぼっちが喜びであるとした集団に出会い様々な神秘体験をしたら、心からの信仰をしてしまう人がいても仕方なかったかもしれない。(後略)(私の授業で「オウム真理教事件入門」を聴いた女子学生のレポートより)


*今の若者は、現代的な(男性的な)競争社会を相対化しはじめたのかもしれません。