「信なき理解」の破壊性

 親密で安定した関係をつくろうとする努力は、長期的にはかえって患者の「うらみ」を買いかねない。理解しようと安易につとめるならば「わかられてたまるか」という怒りを誘いだす。
 患者は「わかられない」ほうが安心している。理解を押しつけると、今度は「わかっていない、もっと理解せよ」という際限のない要求となる。人間は人間を理解しつくせるものではない。だから「無理難題をふっかける」というかたちの永遠の依存になってしまうのである。
 「理解」はついに「信」に及ばない。あなたの配偶者や子どもを「信」ぬきで理解しようとすると、必ず関係を損ない、相手を破壊する。統合失調症の再発も確実に促進する。
 婚約者にロールシャッハ・テストを施行しようとする精神科医はフラれて当然なのである。ロールシャッハ・テストは、治療者の「ワラをもつかみたい」気持ちで手がかりを求めるときにおこなうものである。人格障害といわれる人は「信なき理解」にさらされてきた人であるかもしれない(中井久夫山口直彦『看護のための精神医学/第2版』医学書院、2004年、p230)。


*「理解以前の信」を大前提とする宗教は、「人格障害」の治療においても、単なる小手先の心理療法に優りうる可能性があると思います。