女性の美と戦争

http://www.yomiuri.co.jp/komachi/beauty/fcolumn/CO005376/20140812-OYT8T50212.html?from=osusume&google_editors_picks=true より
転載
女性の美と戦争


 「新女性美の創造」。こうした見出しが読売新聞の家庭面に登場したのは1941年1月24日のこと。
 「美の標準は時代の社会性によって変化するものです。一路高度国防国家へ突進しようとするこの情勢の中で、婦人の生活はどうあらねばならないか。またその生活の中で女性の美しさはどう変わってくるかということも当然考えられねばなりません」と書かれている。医学、教育、科学などの専門家による座談会が掲載され、翌日からは彫刻家で詩人の高村光太郎や作家の宮本百合子なども、これからの女性の美のありかたについて語っている。
 1月21日付の読売新聞には、大政翼賛会による新女性美創定研究会が開かれたという記事が社会面に掲載されている。見出しは「翼賛型の美人 生み出す初の研究会」。記事では、研究会のメンバーである婦人科医の木下正一氏による「新女性美十則」というものが紹介されている。「顔や姿の美しさ それは飾らぬ自然美から」「清く明るく朗らかに」「大きな腰骨たのもしく」などで、「働く女性、子供を産む女性を美の基準にしたものを提唱」とある。
それまではといえば、竹久夢二の絵に描かれたような、ほっそりして柳腰の女性が美しいとされていた。しかし、その後、戦争への道を突き進んでいくとともに、「柳腰撲滅論」まで登場するなど、戦争を支える「戦力」としての女性への期待が高まっていった。健康的な美というものが、実は女性を「戦力」に仕立て上げていくために使われたということだ。
 この話を初めて知ったのは、読売新聞の家庭面が2014年に100年を迎えるにあたって掲載された「家庭面の一世紀」という連載だった。詳しくは『こうして女性は強くなった。家庭面の100年』(中央公論新社刊)に掲載されているが、女性の美の基準がこうして国によって作られていくということに、大きなショックを受けた。
 女性が健康的であるのはいい。しかし、美の基準や美意識は個人によって異なるのが当然であって、国が決めていくような話ではない。そのことを、この時代の記事が教えてくれる。
 あす8月15日は終戦記念日。美やファッションも戦争の影響を受けたのだということを知っておきたい。


*男性美については、J・モッセの労作『男のイメージー男性性の創造と近代社会ー』(作品社、2005年)がありますが、女性美についても本格的な歴史的研究が必要でしょう。