徴候的認知の疲れやすさ

(前略)道に迷った私の経験からいえば、迷ったと思ったとたんに大局的な風景はどこへやら、目的地に近づくらしい徴候を示す些細な特徴ばかりが眼に入り、それに引かれてとんでもないところに行ってしまった。徴候的認知は、脳を酷使する。これは経験が十分使えないときに前に出てくる認知方法である。だから暗夜に未知の土地を歩く時などにひどく働いてくれる認知回路である。しかし、ごく一部から全体を推測するから間違う確率が高く、また非常に疲れやすい回路である。「ほんとうらしさ」についての確実な勘が疲れて働かなくなると頭の中が迷路そのものになる(中井久夫「老年期認知症への対応と生活支援」『日時計の影』みすず書房、2008年(初出2006年)、p40)。


*「徴候的認知は脳を酷使する」、その通りだと思います。