道徳の教科化について

http://digital.asahi.com/articles/ASG1Y3WFXG1YUTFK004.html?iref=comkiji_redirect より転載

 
 安倍晋三首相は29日午前の参院代表質問で、小中学校の道徳の教科化について「公共の精神や豊かな人間性を培うため、特別の教科として位置付け、教育の目標・内容の見直しや、教員養成の充実などを図ることで、今後の時代に求められる道徳教育の実現を目指す」と表明した。現在は正規の教科ではない「道徳の時間」として教えられているが、教科に格上げすることに意欲を示したものだ。


 何という可愛げのない少年だとお思いのことであろう(なぜか私は当時(熊田註;太平洋戦争中)からファナティックなことが嫌いだった。軍国少年ではなかった。終戦時の価値転換の経験がない)。しかし、私のことはとにかく、一般に可愛げのある子どもたちであることを求める傾向は全体主義への傾斜であると私は思う。児童のことを「よい子」と呼ぶのはたしか戦時中にはじまる。“可愛げのない”小学生の私には、この言葉に歯の浮く思いがあった。現在の思春期問題の解決の落ち行く先が再びこうであってはなるまい。私はそれを言いたいのである(中井久夫「『思春期』を考えることについて」『「思春期」を考えることについて』ちくま学芸文庫、2011年(初出1981年)、p.87)。