景山民夫と「幸福の科学」

1.
http://ameblo.jp/komatsu1107/entry-11152361828.html より転載
どんな人生でも無駄や敗北はないということを知る話


「〜さよならブラックバード 」あとがきより〜


僕はいまから八年程前に長女を亡くしました。
彼女は生まれたときから重い障害をもった子供で、
十八年間の人生の中で、
一度も自分の力でベッドから起き上がることが出来ない生活を送り、
そして死にました。
急な死だったために、
僕があわてて病院に駆けつけたのは 死後一時間ほどしてからでした。
娘は既に冷たくなっていて、
一八歳にしてはずいぶん小さな体をベッドに横たえていました。
その夜、通夜が営まれ、
お棺に入れられて祭壇に安置されている娘の遺体を目にしたとき、
僕はなぜか
『あ、もう肉体から魂が抜け出してしまっている』と感じたのです。
ふと祭壇の上の方を見ると、
そこに娘がポコンと浮かんでいました。
それは、生前の肉体の姿ではなく、
白く光る玉のように僕の目には見えました。
無事にお通夜を終え、
僕は翌日の葬儀に備える為に教会の駐車場にあった車に戻りました。
車のエンジンをかけたときに、
僕は助手席に死んだ娘がいる事に気がつきました。
さっきと同じ光る球体のようでした。
『一緒にお家に帰るか』と僕は娘に声をかけました。
彼女は、『うん、一緒に帰る』と答えました。
不思議なことです。
生きているときは、言葉が喋れないために
一度も会話をしたことがない彼女と、
死んだ後ではまるで普通の人と同様に会話ができるのです。
といっても、
それは鼓膜から通して伝わってくるものではなく、
直接僕の心に語りかけてくるテレパシーのような通信手段でしたが、
それでも意思は完全に通じあっていました。
いろいろなことを語り合いながら、車を運転していくと、
途中で雨が降り始めました。
家に着いたときもまだ雨は降り続いており、
彼女は『そうかぁ、雨ってこういうものなんだ』と感激していました。
ずっと室内で暮らしていた彼女は、
雨というものを実体験したことがなかったのです。
その後、娘は(ヘンな話ですが)自分の葬儀にも出席し、
しばらく我が家に滞在していました。
その間に『お前はなんであの不自由な身体を選んで生まれてきたのだ』
と尋ねたことがあります。
娘の答えはこうでした。
『他の理由はあるけど、私が生まれる前のパパの心の状態のままだと、
パパは弱者に対してのやさしさが持てない人になっていたかもしれないの。
それで私は重い障害をもってパパの娘に生まれたの』
言葉は僕にとって目からウロコが落ちるようなものでした。
たしかに、
思い返してみれば当時の僕にはそういった傾向があったのかもしれません。
やがて娘は、『もう天に帰るから』と言って去っていきました。
痛く、辛く、悲しい人生ではあったと思いますが、
女の一生は無駄でも敗北でもありませんでした。
障害をもつ子として生まれて、
僕に思いやりの大切さを気づかせてくれたのですから。
これはすべて本当の話です。
もう一度言いましょう。
どんな人生でも無駄や敗北はないのです。
大切なのは無駄や敗北とみえたことから、
【何を学び取るか】なのです。


景山民夫

2,
http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/touch/20120619 より転載
信仰について気付いたこと


ちょっと気になっていたこと。
景山民夫は、晩年『幸福の科学』の信者として、講談社フライデーへの抗議活動の先頭に立つなど、“どうしちゃったの、なにがあったの?”といような変貌を遂げた。『出没おもしろマップ』の『エンゼル体操』や『ひょうきん族』でのフルハム三浦を知っている人たちには、衝撃でしかなく、彼の信仰はなにゆえなのかと、いろいろ勘ぐられた。
よく言われていたのが、


彼には、重度の心身障害を持つ娘がいて、寝たきりのまま、18歳で亡くなった。そのことが、彼を信仰へと導いた。


ということで、それが通説みたいになっているようなんだが。
以前読んだ彼の著書では、そう言われることに、彼は真っ向から反論していたなぁと思った。で、書庫を探してみたんだが、結局、20年以上前の本なので見つからず、確かめようもなかったんので、古本で購入して、読んでみた。
で、そのくだりを見つけた。


 僕が『幸福の科学』の正会員となった理由として、よく、この、長女の死を挙げて分析しようとしたり、断定する人がいる。景山には重度の心身障害を持つ娘がいて、その娘に対して何もしてやれなかった苦しさを逃れようとその死をきっかけに、救いを求めて宗教に走ったのだ、という説である。そういう分析自体が、実はとても無礼なことである。
 それはおいておくとして、この見方は根本的に違う。浅はかすぎる。信仰を持つこと、イコール救いを求める行為、という思い込みが、まず僕の場合はあてはまらない。求めたのは、悟りであって、救いでは決してない。ましてや、もし救いが欲しかったにしても、それは長女が死によって不自由な肉体を離れたとき、既に与えられているのだ。
 彼女の魂が完全に肉体を離れていることを認識したとき、僕は心の底から、「よかったね、お前、一生の修行が終わって」と言った。
娘の長いとはいえない今回の一生は、偶然の結果ではなく、彼女自身が選んだ今世紀での魂の修行だということも、何故か理解していた。
「今度の修行はちょっとしんどかったけれど、よく頑張ったね」
と、彼女をねぎらったことを、鮮明に覚えている(景山民夫『私は如何にしてして幸福の科学の正会員となったか』太田出版、1992年、pp.98-99)。


最初にこのくだりを読んだ時は、“あぁ、いきがっていて、認めたくないのねぇ”と思った。こんな子を育てるのが、楽なはずないじゃないか。「私は不幸ではない」と言いきっているだけじゃないかと。
……で、ここから下に、いろいろゴチャゴチャ書いていたんですが、すみません、書きなおします。
20年ぶりぐらいに読んでみて、気付いたのは、
「自分の思う不幸のイメージを他人に押し付けるな」
「人の思うことはそんな簡単じゃない」
「信仰とは救われたいってのとは違うよ、もっと深いよ」
ってことかと。
親になってみると、どんな子も自分の子だってことで、それを否定はできないわけで。人それぞれに積もり積もったいろいろな思いがあり、その結果、人生を選択しているわけで。それをあっさり説明して納得してしまう、無理解みたいなのがイヤでたまらず、理解される場を求めてたどり着くのが、信仰だったりするのかなぁ。
自分も親になったし、娘の影響でキリスト教を通じて信仰について見聞きすることが多くなっているからなのかもしれないが、景山民夫って、そんな簡単な人じゃなかったんだと思いますね。


*ポイントは、以下の部分です。
1.
その後、娘は(ヘンな話ですが)自分の葬儀にも出席し、
しばらく我が家に滞在していました。
その間に『お前はなんであの不自由な身体を選んで生まれてきたのだ』
と尋ねたことがあります。
娘の答えはこうでした。
『他の理由はあるけど、私が生まれる前のパパの心の状態のままだと、
パパは弱者に対してのやさしさが持てない人になっていたかもしれないの。
それで私は重い障害をもってパパの娘に生まれたの』
言葉は僕にとって目からウロコが落ちるようなものでした。
2.
 それはおいておくとして、この見方は根本的に違う。浅はかすぎる。信仰を持つこと、イコール救いを求める行為、という思い込みが、まず僕の場合はあてはまらない。求めたのは、悟りであって、救いでは決してない。ましてや、もし救いが欲しかったにしても、それは長女が死によって不自由な肉体を離れたとき、既に与えられているのだ。
 彼女の魂が完全に肉体を離れていることを認識したとき、僕は心の底から、「よかったね、お前、一生の修行が終わって」と言った。
「今度の修行はちょっとしんどかったけれど、よく頑張ったね」
と、彼女をねぎらったことを、鮮明に覚えている(景山民夫『私は如何にしてして幸福の科学の正会員となったか』太田出版、1992年、pp.98-99)。