アルコール依存症とパイプについて

 なぜか、治療の終わり頃にパイプを粘土でつくったり、本物をくれる患者がすくなくない。そして患者もパイプを出して火をつける。インディアンの酋長同士の“平和のパイプ”という儀式を思わせる場面である。「私も男、あなたも・・・・・・」ということだろうが、彼らのユーモアの一つの花だろう。気持ちよくくゆらし合って終るセッションになるが、次の回がもしあるとすれば、私はもらったパイプではなく、自分の愛用のパイプをもち出す。この辺の機微は何となくわかっていただけると思う。酒を贈られるうちは、まだまだである。医師を共犯者にしたい心の動きは、あっても不思議でないことだ(私はその後禁煙し、そういうことはなくなった)(中井久夫「慢性アルコール中毒への一接近法(要約)」『世に棲む患者』ちくま学芸文庫、2011年(初出1977年))。


*「この辺の機微はなんとなくわかっていただける」のは、「男同士」理解できる男性読者だけでしょう。近代における男性性が権力に骨がらみになっていることを示すいい例だと思います。


アルコール依存症者のと男性と権力について」
http://d.hatena.ne.jp/kkumata/20130912/p1
「老人と髭をめぐる一考察」
http://d.hatena.ne.jp/kkumata/20131006/p2