安倍政権の教育政策に思う

 私は、現在の思春期をめぐる社会病理を論ずるのに大きなためらいと惑いを覚える。率直に言って私は何か危ういものをかすかに感じているのだ。現在の思春期よりも、それを論じる角度に。
 学校内暴力や非行は、ほんとうに、最近になってにわかにふえているのか、どうか。
(中略)
 われわれは、まず過去を美化するという危うい道に入り込んでいるのではないか、と考えてみてもよくはないか。 
(中略)
 外国の同僚たちは、日本の現状よりもはるかにはげしい状況にあって、デモクラシーの枠内で―デモクラシーとは非能率的なものである―個別的に解決しようと努めている。それがいかに非力にみえようとも、わが国においてもそれ以外の手段に訴えようとする誘惑に屈してはならないと思う。
 非行少年のエネルギーを全体主義のチャンネルに導くことは可能である。しかし、これはおそろしく高い買い物である(中井久夫「「思春期を考える」ことについて」『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫、2011年(初出1984年)、pp.84-90)。


*安倍政権と下村文科相の教育政策に、「デモクラシー以外の手段に訴えようとする誘惑」を感じるのは、私だけでしょうか?