結核の信仰治療

(前略)そしてひとたび結核が宣告されたならば、それは内心から衝きあげてくる焦りとの精神的な闘いを意味した。一夜この焦りに身を委ねることは、ロシヤ式ルーレットほどの確率で結核の急性増悪(シューブ)の引金を引いてしまうことを意味した。しかし、逆に強迫的に「大気・安静・栄養の三大原則」を守ったものがもっともよく生き残ったわけではないともいう。療養は生のリズムを感得しつつ自制しながら心の余裕を失わない者に有利であった。そういうものは療養期間を、思いがけない自己発見の時期、新しい局面への自己展開の時期となしえたのである。結核感染症とはいえ、感染したもののごく一部が発症し、その後の経過も複雑な心理的・環境的な因子がからむ、すぐれてメンタルな、また状況的、家族的な含蓄を持つ疾患であった(中井久夫「思春期患者とその治療者」『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫、2011年(初出1978年)、pp.46-47)。


天理教が急成長した明治20年代には、結核患者が、教団の「朝起き・正直・働き」という教えを守って「生のリズム」を感得し、「人を助けて我が身助かる」という教えを守って「心の余裕」を保ち続けることによって、結果的に結核の「療養」に成功することも時には現実にあったのだろうと思います。「人を助けて我が身助かる」よりも「たんのう」の教えだったかもしれません。


http://6308.teacup.com/ukishima/bbs/845